もう、身体的に、以前の自分と比べるのはやめよう。
こんなに歩けたのに、とか、このくらい、できたのに、とか。
この身体は、変化したのだ。
「私」をつくる精神は変わらない。
だが、身体は時間とともに変化したのだ。
これに、抗うことは、あまりよろしくない。
今、こういう身体である、こういう身体をもった、この身体にもたれた、この自己をつくるものに、抗うまい。
以前のように、しゃんしゃん、足早に歩けば、息があがる。
その時は元気でも、あとでチャンと疲れてくる。
ゆっくり、歩くのがよい。
そしてゆっくり、考えるがよい。
何も、焦ることはない。
焦燥感に駆られ、ああもう自分はダメだ、と思う必要はない。
そう思いたければ思え。
でも、いくら、何を思ったところで、この身にお前は牛耳られているのだ。
それは、そんなに不幸なことではないはずだ。
むしろ、ここまで生きながらえたのだ。いいも、わるいもない。
どうしてか分からず、この世に生を受け、生かされてきたのだ。
なぜ生きていたのかは── 死んだあと、カミサマにでも訊くがいい。
どうしてこうなっているのか分からぬ生を、この生を、死ぬまで生きることだ。
それ以外、できることは── 「ない」と言ってしまえ。
どんなにくだらぬと思えることも、いやだと思えることも、もう、仕方ない、と思ってしまえ。
実のところ、まったく、仕方ないのだ。