いやな思い出は、なかなか消えない。
思い出… そんな、形にあるものではない。あの時「いやな思いをした」その思いが残って、時間の経過とともに形が縁どられていく。
創造者は、突き詰めればこの私だろう。きっかけをつくったのは他者であるが、そこには私もいたからだ。私がいて、他者がいて、そこから私が「いやな思いをした」ということだ。相手も、いやな思いをしたかもしれないが、それは分からない。私に分かるのは── 今現在の私であるらしいのだ。
もう、二ヵ月くらい経ったろうか。でも、依然私は忘れていない。いつまで経っても「あの時いやな思いをした」その思いから抜け出せず、忘れられない。これはどうしたわけだろう?
いい思い出よりも、いやな思い出の方が、強く残るのはどうしたわけだろう?
以前、私は「それは自分に必要な記憶だからだ」と考えていた。頭では、「こんなこと忘れた方がいい」と分かっている。でも、それが忘れられないのは「自分の知らない自分、本能のような、私の知らない私が、その記憶を必要としているからだ」と考えていた。
必要でない記憶は、さっさと忘れるだろうから。だって、そうして人間は「進化」してきたわけだろう? 必要な記憶を身体に、細胞に、自分の意志と関わらず刻み、刻まれ、人間存在としての歴史、存続を続けてきたんだろう? 私も人間の端くれであるから、そんな機能が一つぐらいあってもいいだろう… あるのだろう。
そんなわけのわからないことを考えていたが。
ギリシャ神話によれば、記憶の神様はムネーモシュネーという女神であるらしいから、彼女に会って訊くしかない。「なぜ、覚えていてもしょうがないことが忘れられないのですか?」
彼女はこう答えるだろう、「私は確かに記憶をつかさどるものです。私も、実はあなた方につくられた記憶の一つなので、なぜと聞かれても答えようがありません。あなた方がつくったものなんですよ。あなた方がね」
「ですから、記憶も、あなた方がひとりひとりでつくられたものでしょう。記憶に関しては、あなた方ひとりひとりが、創造主です。ほかの誰も、あなたの記憶を── あなただけが抱く記憶を── もつことはできませんからね」
「忘れられないのなら、せっかくだから、今のあなたをだいじにしてみては如何でしょう? 今のあなたがここにいるのも、いやなこと、いいこと、ぜんぶの記憶があなたに含まれているんですから。記憶の中にあなたがいるのではありません。あなたの中に記憶があるんですから…」
「あなたは今を生きているんです。記憶の管理者は、今のあなたです。記憶に管理されてはいけませんよ。あなたが記憶を管理するんです。管理されるのも大変ですよ。できれば、やさしくしてあげて下さいね。わたしなんかもう、2150年も、あなた方人間につくられて、ずっとこのままなんですから」