心配度合、強迫観念…

「それは心配するに当たらない」とこちらには思えても、「いえいえ、心配です」とあちらは言う。

逆に、こちらが「それは心配だ」と言っても、あちらは「いえ、それは心配ではありません」。

「心配」の対象、その大きさは人それぞれに違って見える。どうしてこんなことになるのか。

直感、直観。

ここから、始まるもの── 人への印象、モノへの印象。

その人の「目」。その視野に映るもの、その目の中に映り、そこから胸に、胸奥に入って来たもの。

時間が経てば、それは一つのイメージになるもの。

フレームの出来上がりだ。

「この人は」「この物は」~こうだろう。~だろう。「だろう」の出来上がり。

それはほぼ絶対化される。

観念。換言すれば、「だろう」の絶対視。

そうやって、人は人と、モノと、目に見えるものと接触していくのだろう。この「だろう」も私の観念だ。

観念は今をつくり、未来もつくり… つまり「私」を、だから世界をつくっていくだろう

私、私、私── ありとある「私」が、この世にある。