岡本太郎のお母さんは、太郎が病気になって寝込んだ時、「病気になる太郎なんかキライ!」と言って、外へ出て行ったらしい。
看病を放棄して、出て行ったのだ。
太郎は、そんなお母さんのことを、ユニークな母でした、とでもいうように述懐していたとか。
「親子の関係というより、人間と人間の関係、対等な関係であった」という言い方で。
太郎がフランスに留学している時は、「淋しい、淋しい」と訴えるような手紙が、母から来たとか。
夫君が家にいるのに、愛人を招いたり(?)、まあ、とにかく、自分に正直に生きたような人が、太郎の母・岡本かの子であったらしい。
おもしろい話だ。一般の、何かに捉われない。捉われても、それを振り切ってしまう自己を抱え、そうして生きた人── そんなイメージが浮かぶ。
この親にしてこの子あり、という感じもするが、長い時間、一つ屋根の下で一緒に暮らせば、そりゃ影響は受けるでしょう。
僕も、自分の子どもに、「お父さん」でなく「ミツル」(私の本名)と呼ばせていたような時期がある。母(私の当時の妻)のことを、子は「〇〇〇」(妻の本名)と呼んでいた。だが、僕のことは、「お父さん」と呼んでいた。理由を聞けば、「〇〇〇の方が可愛いから」「お父さんの方がカッコイイから」であった。
呼び方の問題である。
「どうして名前で呼ばれたいの?」と子に聞かれた時、僕は「お父さん、って呼ぶことは、〇〇(子の名前)のことを、子ども、って呼ぶのと同じだから。〇〇は、子どもである前に〇〇でしょ?」というように答えた。
子は、可笑しそうに笑っていた。まだ保育園の、きりん組にいた頃だ。ふーん、そっかー、と相槌をうたれた気もする。
親子関係、というより、個人個人、というか、太郎の言葉を借りれば「対等な関係」の一端みたいな、そんな思いもあって、名前で呼んでいいよ、と言っていた。
もちろん強制はしない。で、子は、母のことを〇〇子、僕のことをお父さん、と呼んでいた。
僕はあまり父親然としない(できない)、要するに何かエラソウにできない、情けない父親だったので、とてもじゃないが男尊女卑とか、子を「教育しちゃる」みたいな強い気持ち?は持てなかった。そうなれない自分が悔しく、また愛しくもあった。
その子も、もう三十路を越えた。しっかり、お母さんになって、いい旦那さんと一緒になって(と思う)、彼女なりに、ほんとに彼女なりに、生きてくれたらと思う。去年、何年かぶりに会ったが、子ども(私のマゴですね)も可愛く、また、子(私の子)も可愛く、ほんとに可愛くなっていて、驚いた。
離婚しようが結婚しようが、子にとって親は親である。そう思うと、僕も、親なんだなぁと思う。
といって、親はこうすべきだとか、子はこうすべきだとか、その関係の中で、親子であることを武器みたいにしたくない。
きりん組にいた頃に、僕は愛知へ出稼ぎに、家を捨てるみたいに行ったし、そんな、父親みたいなことができたのは養育費をずっと送り続けたことだけだ。
ほんとうに、全く、何というか、もう、彼女(妻)には感謝なんて言葉も薄っぺらい。
若かったとか年とったとか、そんなもんだいでもない気がする。
ただ在る、在る、ということなんだと思う、言葉にしてしまえば。