気遣い(2)

 つまり、自分の想う「あなた」と、実際にそこにいる「あなた」が一致していれば、わたしは「あなたはこういうことをすれば喜んでくれるだろう」という自分の想像に確信が持て、事実、あなたは喜んでくれるわけだ。

 ── そうなるね。

 だが、一致しているのかどうか…。わたしの思う「あなた」が、ほんとうに「あなた」なのか。あなたは、あなただ。わたしの思う、あなたとは違うかもしれない… そして違っていることの方が多いんだ、経験上、そう思える。こう思っていることも、ほんとなのかどうか、はたして「経験」はほんとに経験だったのか、ほんとの経験、わたしの独りよがりでない、相手とほんとうに一致した、ほんとの経験だったのか…

 ── わからないわけだ、ほんとには。

 まったく、困ったものだ。人間は怖い。恐ろしいよ。何を考えているのか分からない。

 ── 交換日記でもしたらどうかね、できたらいいね、気になる人と。あの時自分はこう考えていたんだ、と、おたがい、思いを開示できるようなね。

 ところが、ぼくの気になる存在は、人間なんだ。人間… つまり、全人類なんだよ。プーチン大統領と、ダライ・ラマと、ロスチャイルドと…何億人だ、名もない兵士や、アフリカの子どもと…名もない、大きな、そして小っちゃな一人一人と、交換日記なんか一生かかってもできやしないね。

 ── 理解し合うために、交換日記はかなり有効だと思うがね。まあ、せめて、こうしてブログなんかに自分を開示して、まずきみはきみ自身を研究し、ほとんど目にされない「理解」に幻想を抱いて、まぼろしの道を行けばいいよ。

 一体、何に気を遣い、何を気に病み、何を… と、追求していくんだね。ヒトリシズカに。そしてみんな、きみの気にする「みんな」も、いずれ死んでいく、きみもその「みんな」に紛うことなき一員だ。