気遣い(1)

 どれほど自分が相手に気を遣っているつもりでいても、相手に伝わらなければ、そして相手がそれを快く思わなければ、何にもならぬ、むしろ疎ましがられる、何を考えているのか分からない、ピント外れの壊れたカメラのように見られるかもしれないよ。

 近所で何か事件があったら、「あの人、怪しい」と、真っ先に不審人物、捜査対象人物になって、警察が家にやって来るかもしれない。

 怖いねえ。生きてるだけで、大変なことだねえ。

「気を遣う」「思いやる」「相手のことを考える」これら、ぜんぶ、観念だねえ。一人一人、違うアタマを持っているから、通じるか通じないか、わからない。「気」「思い」「考える」なんて、いかにも漠然としていて、何のキマリも規則もないからねえ。

 死にそうなほど、相手のことを考えていたとしても、相手には「ただボーッとしている」としか見られないことだってある。

 怖いねえ、怖いねえ。こんな世界、とてもじゃないが、やっていけそうにないね。

 相手に伝えよう、わかってもらおう。そんなところから、嘘が始まるのかもしれないね。

 だって、表現しないと、形に現わさないと、伝わらないんだから。

 そうだとしたら、みんな、演技賞だね。人間関係という舞台を下りたら、ああやれやれ、終わったよ、とホッとしたりして。

 うまく、やれただろうか。頭の中で巻き戻し、映像を振り返る。

 うん、上等、上等。

 だが、相手は「なんだかおかしな人だったなぁ」と思っている。

 まったく、「思い通りになる」なんてことは、金輪際、ないのだ。

 サンダルの汚れ一つで、帽子についた汗のシミひとつで、あなたは「不審人物」になってしまいかねない。

 相手が、あなたを気に入らぬ要素の、重大な一点になりかねないのだ、今朝ヒゲを剃らなかったばっかりに! 寝不足で、ちょっと眉間にシワを寄せて歩いていたばっかりに。

 ──なんでそんなに、きみは人の目を気にするね? どうして、そんなに気に入られたい、人から良く思われたいね?

 …… 気持ち良く、笑って挨拶をしたいだけなんだよ。「おはようございます」「こんにちは」ってね。

 ぼくは、「みんな」が「ふつうに」、空気を吸うようにしていることを、「みんな」が「ふつうに」空気を吸うようにしているように、したいんだよ。

 それが、どうも、できないみたいなんだ。

 いちいち心臓をドキドキさせて、張り詰めた、過呼吸みたいになりながら、朝のゴミ出しなんかに行っているんだ。買い物もそうだよ。外に行くのが、恐ろしい。何としても、恐ろしい。

 ──そしてきみがそんな気持ちで歩いていることを、近所は誰も知らない…

 いや、こんな気持ちでいることがバレたら、それこそ精神異常者だろう? こんな気持ちでいることは、隠さなくちゃいけない。知られてはいけない。で、僕は「ふつう」のふりをする。何でもない顔をして、「まとも」を装っているのさ…

 ──みんな、そうしているのかもしれないよ。…きみの気にしている「みんな」が、みんな、そうしているのかもしれないよ。ひょっとして、もしかすると。