後悔しない生き方?

 はたして、そんな生き方が可能なのだろうか。

 しばらく会っていないが、90を過ぎた友達が、そのような人に見える。

 いつも朗らかで、ニコニコして、優しい目で人をまっすぐ見つめ、ユーモアたっぷりに話す。

 およそ後悔とか、憂鬱とかとは、無縁そうに見える。つられて、僕も会うたびにひとりで笑うことになる。

 あるていどの年齢に行ったら、そのような性格になるのだろうか。先天的な性質によるところ、大きいかと思えるが。

 性質は変わらないが、性格は変わるといわれる。

 自転車でヘルメットを被っている人も、あるていど御年を召された方が多い。

 その友達も、「ここまで来たら、まだ死にたくないからな」とか言って笑っていた。すごいなぁと思う。

「自分のやるべきことをしてきた」人は、穏やかに歳を取られているように見える。

 逆に、欲が深いのか視野が広いのか、良心にやましいところがあるのか、何か引っ掛かりを持ちながら歳をとった人は、「やり切っていない」「中途半端」な感じで生きているように見える。

 その90を過ぎた友達は、自営業の日傘職人で、沢山の日傘を作ってきたらしい。お客さんの注文を受ければ、しっかりその仕事をし、良い傘を作ってきたはずだ。そのお顔を見れば、そんな仕事ぶりが目に浮かぶ。

 あまり、深く考えない。いや、シャープで、頭のきれる人だ。でも、悪い方へ考えない。「ここまで」と自分で思考をコントロールできている感じがする。

 人が好きで、健康に気をつけ(毎日一万歩歩いている)、たぶん規則正しい生活をしていらっしゃる。

「生きてるうちに、もう一回、阪神の優勝を見たいなぁ」とニコニコして仰る。

 いつか町でバッタリ会った時、野球の話をちょっとした後、

「奥さんとばっかり話してるようじゃダメやぞ。いろんな人と話せば知恵もつく」

 と、まっすぐ見つめて、言われた。

 いろんな人と会ってきた人だ。僕の雰囲気から、何か察知したのだろう。何の脈絡もなく、いきなりそう言われたのだった。

 鋭い指摘を受けて、改めてすごい人だなぁと思った。

 いつ死んでもいいように生きる── はたして、そんなことできるんだろうか、という内容のことを書きたい文章だった。

 でも、あの友達のことを思い出したら、そんな疑問、どっか行っちゃった。(話の拍子に、「俺の友達」と彼が言ってくれたので、友達、と書かせて頂いた)