落ち着くまでの過程(8)

 さて、ところで、私はなんでこんなことを書き始めたのか?

 昨夜、死にたいと思ったからだ。かなり自分で自分を追い詰めた。自分で自分を追い込んだことは分かっている。そうしないではいられなかったからだ。

 ここで少し、あの時の気持ちの変化、移ろい具合を書いてみよう。

 私は今、パートナーとふたりで暮らしているのだが、彼女の仕事がキツそうなのだ。あにはからん、人間関係でである。要するに、世間でいう「老害」的な老人が職場にいて、まあ彼女の悪口を他の従業員に言いふらしているらしいのだ。

 だが、もうこれ以上書くまい。彼女がもし読んだら、いやがるだろうから。うかつに、書けない。

 ただこれだけは書いておこう、彼女は職場の責任者たる立場であるから、また職種上、彼女が休みで家にいる時も、よく電話がかかってくることだけは。

 この電話、これによって、つまり私が、いやになるのだ。休みの日にも、仕事の電話!

 シフトを決めるために、一ヵ月の出勤表の作成さえ、彼女は家でしているのだ。もちろん、就労時間外である。ブラック企業かと思う。

 とにかく、まるで365日、仕事から離れる時間がないではないか。何より、休日は休日なのだ。仕事のことなど、その日は1mmもあってはならない。

 というのも、私はある自動車会社の工場で、今も親交のある友達から、「仕事は二の次、プライベート優先ですよ」と、毎晩ふたりでビールを飲みながら言われたものだからだ。彼は今役職について、人望も厚い人だ。まじめで、面倒見も良い。私の数少ない友達の一人で、何としても彼の考え方は間違っていないと私は信じている。

 これが、不真面目な、客観的判断のできない、ほんとに自分のことしか考えていないような人間であったら、私は軽蔑する。信じるどころの騒ぎでない。

 だが、彼もまじめだし、私のパートナーも贔屓目に見るでなく、物事を客観的に見、自分本位だけの判断をしない人である。

 だから「仕事の責任者になどなってはならない」と、先日ここの記事に書いたのだ。不真面目な、自分本位だけで仕事をするような人間がなればよい。

 こまやかな精神をもっている人は、リーダーなどになってはならない。「お前は出世するな。鬱病になってしまうぞ」と、くだんの彼は言われたことがあるらしい。そう、私の友達、つきあった女の人は、大体が真面目なのだ。

 だいたい責任者なんて、形だけのものだ。責任なんて、何だというのだ。

 ひとりひとりが、責任をもって── 従事、自分の仕事をしっかりこなせば、それでいいではないか。

 形だけの責任者など、要らぬだろう。ところが、要るのだ。ピラミッドなど、壊してしまえ。自分の体裁ばかりを気にした、頭の空っぽな「上司」が増えるだけだ。

 そうして下で働く者も、慣らされていく。飼い慣らされた、牛になる。何が鈍感力だ。繊細さなくして、鈍感の力なんか、あり得ないんだよ。