仔細にみつめる…

 さて、この話、面白いので、もう少しやってみよう。

 私は、こういうことをしたかった。そんな感もある。

 ソクラテスで止まっていた哲学を、キルケゴールは動かそうとした。

 ニーチェはツァラトゥストラを創造した。

 モンテーニュは自分のことを人間研究の材料に提供したが、昔話が多くて、それも歴史、歴史的な人間の戦闘の歴史的なものが多く見られ、それもモンテーニュの一部と化しているのならば「自分の研究=人間研究」になろう。だが、少し、ムリがあるように思われた。モンテーニュ自身は、まったくムリではなかったろうけれど、私はもっと彼自身を具体的に知りたかった。

 私は自分自身を題材にして、それこそ人間研究、あなたの自己探求、結局人間探索になってしまうが、そのように今まで書いてきたつもりだった。

 けっして、自分だけのこと、それを書いては来たが、それだけの目論見ではなかった。意識の中には、常に「客観」があった。

 それは主体から生まれ、客観になったものだ。生まれたものは、客観化される。

 そこら辺のことを、おそらく読者は、気づくまい。ひとえに、私の筆力の問題である。時代のせいにはしたくない。

 たとえば社会変革、あの全共闘世代に生きていたとしても、私は私であったろう。物事をナナメに見て、私にとっては真っ直ぐなのだが、まわりはそれをネジクレと見たであろう。

 そう、私という主体から生まれた形、形になったもの(文字、言動、態度等)は、私からどんどん離れていく。

 私から生まれたものは、どんどん私でなくなっていく。

 なんと愉快なことだろう。

 モンテーニュは、誤読した読者には、訂正のためにあの世から舞い戻って来ると言ったけれども、私にはそのような思いはない。どうぞご勝手に、ご髄意に、どうとでも解釈しなはれ。それがあなたの求めるものなのだ。私は、あなたの求めるものを、一つ、そのきっかけとして、あなたに提示したわけだ。

 あとは、あなたの黄金権である。ただ、そこから、真剣に話せたらいいね。「違う」と拒絶するのでなく、それを受け入れながら、話す。どんなに不毛なものであったとしても、話す。

 そのための、何かなのではないかね。何か? そう、話す、ということ。

 赤ん坊から、徐々に毛が生えてきてしまうよ。いつまでも、不毛のままたり得ない。あとは、ひとりひとりの作業で、水をまき、自身の中で成長させるのさ。水なんかまかなくたって、雨が降る。自然に、育たぬ種は死滅し、育つ芽だけが育ってく。

 自然の一部、何も考えない自然の一部、「一」となったから二、三、四五六七…キリがない。

 そのための、不毛であるのかもしれないよ。不毛であることを知るための、一、二、三、四…

 しかし、最初から不毛であったわけではない。そこには、あったんだ、毛根が。