ほんとうの絶対

 善も正しさも、たいしたことではない。所詮は人間はつくったものだ。人間のつくったものに絶対はない。どんな良いことを言ったって、諸刃の刃。時間がそれを悪に、不正に代える、すげ替える… 逆もまた然り!
 便利と不便、安穏と恐慌、陶酔と幻滅、盛大と矮小、表裏一体、紙一重。ぴったり糊付けされている、明と暗は同じ場所。ほんとうの絶対は、そんなものではない、人間の観念や意志、恣意や思惑から生まれるものではない。神もまた然り。運命はある、人間の運命は。でもそれをつくるのは人間自身で、他の何がつくったものでもない。人間の運命はある、生命のあらゆるものに運命はある。それらは絶対的なもので、人間、生命がつくるものでなく。それは輪のようなもので… 丸い。円環、循環、巡り続けるもので、それ自体にも意思はない。そいつは、言ってみれば宇宙だ、軌道だ。そこをまわり続ける…

 他力と自力、同じことだ。同じ線上、バンザイしてるか、ポケットに手、突っ込んでるか。座ってるか立ってるか。笑ってるか泣いてるか── どっちでもない時間が多い。何に感激しようが、何を憂おうが、たいしたことではない。肝心なのはその線上にいることで…この線の上にいることを自覚することだ。
 雨天青天、弱さと強さ、怒りと嘆き。形が違うだけで、可視化されているものが違うだけで。たいしたものではない。
 たいしたものにしたいという恣意! ヒマなのだ、そういう輩は。意味を付けようとして欺瞞の小路で袋の鼠。自分の強迫観念から。
 これが良い、あれが悪い、これが幸福、あれが不幸。そんなもんじゃないっての。そんなもんじゃないんだよ。
 ピエロになるな。団長なんていないよ。一員も全員もない。他人もいない、自分もいない。それはあるだけで、そんな異同をつくるのは観念だけで、人間の目に見える世界は笑い事だよ。小さすぎる世界、そして、でも、そいつは大小なんて計れるもんじゃない、長さも短さもない、一つの線の上にただあるだけ。
 といって、無気力になるもんでもない。誰もが可能性の塊だ。だから不可能性もあるだけの話。
 どっちも同じなら、他に依存した可能性よりも、自に、自ずから既にあるもの、既に内包されているこのもの、そのものに光をあてよう。つまり、目を向けよう、顔にくっ付いてる目じゃない目を。
 そいつは足に通じている。だからこの足の下、この線に通じている。