あとは、知らない。
その無のあと、── 気がついたら、「私」という「個」がいた。まわりには、「他」という個々もいた。
無から、星が数多生まれ、宇宙と呼ばれるもの… それを知る者らが生まれた。
その間のことは、知る術もない。
もし、その無… 無じたいが、何ものかが創ったとして… 無から有を生み出したものがあるとして、かれはこう言うだろう。
「あなたがたに理解できない、分からないことは、あなたがたには知る由もありません」
「あなたがたが分からないことを、わたしが説明したところで、あなたがたは分かりません」
「あなたがたは、あなたがたにわかることだけしか、わかりません」
「あなたがたは、今、あなたがたの仕方で進化しているんです。
わたしは、ああ、こうしてこの星の生命は育っているのか、と、見つめるだけです」
そして、かれはこちらの理解できることしか言わないのだ。
つまり、言い古されたこと── この宇宙(と呼ばれるもの)には本当に沢山の星があり、高度な知的生命体があり、タイムマシンがあり、この世とあの世の行き来も自由な生物があり、文明の発達のために滅んだ星があり── 善心だけでなく、悪心にみちたヒトガタの生命体もある、とかいうことしか。
すると、善/悪というのは、誰に教えられたものでなく、その星々に住まう個一体一体の内に、すでに備わった、いわば自転する恒星のようなものですか? と、まずしい想像力をもつ「私」がかれに問う。
「そうですね」とかれが応える、
「一体一体が、宇宙の凝縮、法則化さている自転によって回っている、と言っていいでしょう。
モトは、ひとつのところ、無から始まったものですが、それが分裂、細分した、と」
「ココロというのは、その無のなごりです。
無であるから、あらゆるものを受け容れる。
まわりからの影響を受けるのは、そのためです」
「ところが、個体であること、自己、と呼ばれるものに執着した者は、それを拒みます。
受け容れられないから、戦いが起こります。
自己なんて、もともと無かったのに」
そうですか、と「私」があいづちをうつ。それがこの星の慣習だから。
「とらわれないことですよ」かれが言う、
「頭の中をみてみなさい。過去と未来のことしか埋まっていないでしょう?
今を生きているとか言ったって、頭の中はいつも今になんか無いんですよ」
「だから、生きてる心地がしないのも当然です。
そも、生も死も、あなたがたの頭がつくった想念、観念にすぎません」
「なかったんですよ。なかったんですよ。
これからもないし、いままでもないです。
そう考えて── 考えるまでもないことですが── 気楽にいきなさいな。
気に、もともと、楽も苦もないんですけどね」