「きみにとってほんとうとは何かね?」
「わたしのほんとうは、ちっちゃなものだよ。いや、でかい。どっちもありだ、どっちにもなる、これが絶対だとすることもある。するとデカくなる。疑えば、ちっちゃくなる。客観がいっぱい、まわりを取り囲むから。客観病というのを知っているかね。今、流行りの病気だよ」
「ほんとうは、あるんだね?」
「うん、ある。でも、それはほんとうを見る目だ。わたしにとってのほんとうは、見ることしかできない。それがわたしにとってのほんとうだよ」
「では、ほんとうは、きみの中にあって、でもきみの外にある、と」
「そうそう。わたしはそれをよく見ることしかできないんだ」
「正確に、正しく判断するために?」
「なるべくね。そうすることしかできないんだよ」
「絶対、というのは? あるのかね」
「その時はある。でも変化する。心も身体も。だからこれが絶対というのは無い。その時がある、あったということだけが確かなことよ」
「変わり続けるというのが絶対かね」
「そうだね… 時間が」
「時間、か」
「時間。なんとも言えない存在だよ」
「存在はしていないんだがね」
「でも人は存在してる」
「いない時間の中にいるんだ」
「概念、か」
「固定観念、先入観… これも客観病かしら」
「自分の観でありながら、その観に自分が縛られていたら、病気だね。自分を苦しめるもの、それが病だ」
「セリーヌは《社会が病んでいるのではない。病そのものなのだ》と言ったが」
「特効薬は?」
「陽気さだろう。ただ、ちゃんと陽気でないと」
「ちゃんと?」
「うん、ちゃんと!」