とか何とか言いながら、お前も同じ鉄板の上さ、かぼちゃ頭!
どこにも所属せず… いいね!からもランキングからも逃れたところで!
同じ穴の糞詰まりだ、どてかぼちゃ!
── 昨日ラジオで哲学者カントのことをやってた…「永遠平和」について!
国家間の戦争を起こし難くするには?… 18世紀の哲学者も考えたもんだ! それでも結局、戦争になるわけだ… いかに具体的に、実践可能、具現化可能なものとして、その道標を立てたとしても… 人間の本能、「戦い」の勃起を不能にすることはできなかった!
2500年前のブッダは、瞑想によって荒ぶる心を静める、アンガーマネジメント、これを説いた! これまた実践可能だ、こいつは国家間どころか個人間の争いの勃起も鎮めるだろう… 憎しみ、憎悪、嫉妬、ねたみ、怨み… これらの感情の餓鬼どもの主、飼い主たれ!と。
そりゃ心から憎しみは生まれる… 憎悪も嫉妬も!
だが問題は苦だ、苦しまぬために、人間はどうすべきか?
どうしたら苦しまずに生きられるのか?
これこそ学問だ、学ぶべき、生かすべき、歩むべき道、人として生まれた以上度外視できない大切な、最重要課題の学問だ!
苦!
ところが、人間は自分から苦を求めている… こいつにはブッダもブッタまげた!
この世は有と思えば有る、無いと思えば無い! これもブッダの言葉だ。その通りだ、まさにそうだ、頭・心、形而上のものがキメつけて、キメているんだ、この世ってやつのぜんぶは!
この世を心底、命のように怨んで、憎しんでいる人がいたとする! そいつは、この世が不幸で覆われることを心から望む! 人間の不幸を美食として生きる人間がいる!
私にだって悪心がある! 快楽を求めるも、苦を避けようとするのも、同じ心の問題だ…
私はなるべく無であるとしている… なるべく! できる限り! 私など、無、そのものだったのだから!
それこそ涅槃、ニルヴァーナ! 生きながらにして死んでいる… 死ぬも生きるもこの世の話! 人間限定の話! 言葉の話!
そんなもんじゃないんだ、もっと無ってのはでっけえんだ…
無のままに!
そして観察!一にも二にも! 人を観察、自分を観察、その関係を観察、相手の心を観察、自分の心を観察、その関係を観察!
無、無、無! 無だからこそ出来ることがある… 影響を受けることが…
無という観念、そいつを観察! からっぽの部屋だから陽が射し込む…雨風も!
観察!
私がそこにいる、私が! 無を、無の、無のなかにいない私が!
平和な世界、争いのない世界… その実現への実践、誰でも実行可能な!
心を静め、怒り憎しみ嫉妬を鎮め… 安穏、安穏な心!
ひとりひとり、この〈私〉、自己の主となれば! なれるなら… なれるのは〈私〉以外にないのだが!
ひとりひとりの〈私〉が!
平和な世界、争いのない世界、それがもし現に現れるなら…