「幸せの、ど真ん中にいるのに 幸せが感じられない」
そんな言葉が、町の中のお寺の、門脇の壁に貼ってあった。そこのお寺は、定期的に格言的なものを掲示している。
面白い言葉だと思った。
では、不幸はどうなのか。それこそ、ど真ん中にいないと、感じられないものだろう。
しかし、幸せとか不幸とか、そもそも万人に定義づけられるものではないだろう。よくニュースになるパワハラとかセクハラと同様に、その人がそう感じれば、それがすなわちそうなのだ。
ただ、「これが幸せだ」「これが不幸だ」といったような、借りてきたレンズに自分を当てはめて眺める「幸・不幸」は、ほんとうの幸不幸ではないと思う。
「仮称・幸せ」のイメージ枠の外に出ないで自分が幸せだと感じることは、不幸な気がする。
借り物の舞台で、つまり客観的に見て自分を不幸だと感じることは、ほんとうではない。
個人の悲しみ、つらさ、苦しさ、その状態、それらが「不幸」の総体なのであって、万人共通の不幸そのものは、存在しないと思う。
幸せについても、楽しさ、気持ち良さ、心地良さがあって…しかし、幸せは、存在しない、とは、書きたくない。