愛は

 デンマークの哲人によれば、「愛は、相手を変えようとすることではない。自分が変わることなのだ」という。
 これは痛い言葉だが、ほんとうだと思う。
 たとえば先日、私は料理をした。なるべく家人の身体のことを考え、栄養を考えた料理であった。
 だが、彼女には不評であった。品数が、多過ぎたのだ。もともと小食だし、そんなに作らなくてもよかったのだ。それは分かっていた。

 だが、私は心を込めて作ったつもりだった。そんなに、不味くもないと思いたかった。
 それを、何やら、こんな作られては迷惑だ、とは言わないが、迷惑がられるような態度を家人に取られた時、私は本気で心で泣いていた。
 また、その日私は洗濯をしたのだが、「明日しようと思ってたのに」と真面目に言われ、これまた私はひとりで傷ついてしまった。

 ほんとに犬も食わぬような話で申し訳ないが、以来私は、どんな料理を作ったらいいのか・今日洗濯をしていいのか、全く分からなくなってしまった。
 これは、私の「心」なるものが、いかに自分勝手、恣意に満ちているかの、些細な、しかし自分には重大な発露のように思われる。

 冒頭に書いた「愛」と、私は正反対のことをしようとし、実際、して、「どうだ」とばかり、胸を張りたかったんだと思う。要するに自己満足である。こんなの、やはり愛ではない。
 相手を、こっち側に持って来よう、自分はあっちへ行かずに。自分のやり方に、相手に合わせてもらおう。
 そんなの、やはり愛ではない。

 すると、相手はどうなのか、と、小さな私は思う、「相手だって、愛なんか無いじゃないか。自分の食べ方・洗濯をしたい日に、合わせてほしいと思ってるじゃないか」
 だが、これは根本的に間違っている。愛は、相手に求めるものではない。自分が、相手を想って、自分がするものだ。自分の愛情を押し付けるのは、間違っても愛ではない。