異性を見る時

 まず、その人と合うかどうか、を見る。自分とこの人は「合う」のかどうか。

 たいていそれは「見た目」で分かる。ヒョウ柄のものを身につけた人と、僕はつきあうことはムリのように思えるし、やたら着飾る、いわゆるハデな人ともムリだと思う。

 いや、そういう人と、あまりつきあったことがない。

 でも自分を客観視した時に、僕は地味であるし、カッコがそんなよくないと思っている。

 だからといって、地味な、カッコ悪い人を求めている、というわけではない。

 要するに、その人がそのままであって、(そのままというのは、こちらが分かるものだ)あ、この人とは同じだな、と、どこかに最低限の、だから最高限の接点を見い出したような時に、その人とつきあいたい、と思う。一緒に、いたいと思う。

 年齢とか外見も、意識はするが、そんな強くは意識しない。その人の雰囲気、その人が内面から醸し出す、自然にそれは出されるもの、それを僕は信じているらしい。

 だから、いつかも書いたかもしれないが、僕に「理想像」というものがない。会って、あるいは文を見て、その「人」が自分に入ってくるかどうか、合っているかどうかは、その時まで自分でも分からないからだ。

 しばらく、社会から脱落したような生活をしているから、あまり人と会う機会もなくなった。

 唯一、人と毎日接するのは、一緒に暮らしている人とだけである。

 あとはスーパーの店員さんとか、通りすがりの、自分も通りすがりで、そんな一瞬だけである。

 そして大体、「見た目」…こちらが見た、目、だろうか、で「合うか合わないか」判断する。判断ができた気になっている。

 もう、将来という未来も、そんな夢を描けるほど羽ばたけないし、要するに僕の未来は少ないのだ、過去に比べて、だから命がけの恋とか、燃えて燃えて仕方がない恋情(性欲とは違う)とは、だいぶ遠のいていると思う。

 おもしろいものだと思う。何がおもしろいのか、わからないけれど。