(30)恋と経済

 過日のFMのニュースによると、「恋愛に関心がない」という人が増えているという。
 その理由として、「雇用や給料の経済面の不安が挙げられる」と報道していた。
 また自殺者も、女性に増えている。これも雇用の問題で、経済の不安が原因、あるいは芸能人の自殺も遠因になっているのではないかとの見方がある、と「研究チーム」らしき人々が言う。

 何ともやりきれない気持ちになる。
 ぼくはずっとアルバイトで生きてきて、「バイトじゃ結婚できないよ」と上司から言われたこともあった。でも結婚したし、離婚したのも経済が理由ではなかった。その 後、同棲した人とも、経済が理由で一緒に暮らしたわけでなく、現在の家人も経済の理由で一緒にいるわけではない。

 お金は、恋に関係ない。むしろ逆で、恋人ができたから、ガンバッテハタラコウ、という気持ちになった時もあった。
 だから「研究チーム」の言葉は、あまりにざっくばらんで、乱暴に聞こえる。「恋、異性には興味がある。

 でも、恋人になったり結婚したりしたら、お金がもっと必要になるし、こんな世の中じゃそんな稼げないっぽいし、面倒くさいし、大変になる。だから関心を持たないようにしている」が、近いのではないかと思う。

 そのぼくの、恋(人)に対する頼りない心の根っ子の事情を話せば、「こんな自分とつきあってくれる」という情けない意識が、「ガンバロウ」という気持ちに繋がっていた。生活に、張りができていた。

 今はもう、「ガンバル」対象となるべき社会的仕事もせず、まるでガンバッテいない。お金もない。それでも一緒に暮らしてくれる相手がいたわけだから、やはり経済が 原因で恋が、恋人との生活が、開始して成り立ったとは思えないのだ。

 もちろんお金がなくなれば死ぬわけだから、それまでの生命でありつきあいだ、と、覚悟は決めているつもりだ。でも、お金のために死ぬわけではない。働かない自分のために死ぬのだ。誰のせいでも、何のためでもない。

 恋愛は、相手がいる問題だから、自分ひとりでどうにかできる類いの問題ではない。ただ、その始まりは、自分に、誰かと知り合いたい、自分を知ってほしい欲求が不可欠のようには思う。
 ぼくはずっとブログをやっていたが、それもその本能的な「知って欲しい」発露だったと思う。

〈 人間には様々な不幸があるが、最悪の不幸は、自分が生きていることが誰にも知られないことである 〉(セネカ)

 とにかく「ぼくはここにいるんだ」ということを書いていた。あとは、運命の世界だった。たまたま彼女がぼくを見つけ、つきあい始めただけである。ありがたかったし、今もありがたいと思っている。

 異性を求める心は、きっと誰にでもあると思う。性欲だけを求めるなら、エッチな動画でも見れば事足りる。ただ、理解── こんな自分である、こんな自分である、とお互いに理解し合えるような関係をぼくは求めた。

 誤解だったとしても、それを求めることができていた時、経済もへったくれもどうでもよかった。心の渇きは、お金や動画で埋まるものではなかった。

 経済的基盤がしっかりしていないからといって、もう恋なんか、とフタをするのは、かなり悲しい話のように思う。お金によって生まれ、生かされているのでは、断じて、ない。お金がないから恋もしないなんて、淋しすぎる。

〈 死人のように生きるより、死人でありたい 〉(クリウス・デンターティウス)

 お金があるから幸せだなんて、ほんとうには誰も思っていないと思う。もしそういう人がいるとしても、それはお金によって買えた物であったり、これだけ貯蓄した数字の桁であったり、その桁から始まる夢であったりするだろう。

 お金はその媒介のひとつでしかない。金銭そのものが幸せや恋、それにまつわる人との関係をもたらしているのでは、断じて、ない。