昨夜は、Nさんから誘われて、ラーメン屋→ 居酒屋→ スナックというコースを辿った。
スナックで、たぶん45、6歳のおねえさん(?)に、訊いてみたのである。
「あおいさん、人が人を、ホントウに愛すること、できると思う?」
あおいさんは、2、3秒考えて、「できると思うー」とほとんど即答した。「子どもでもいいのよね、相手?」
「もちろんもちろん」
「私は子どものことをホントウに愛してるし、子どものことを信じているの。何かあった時、ああ、育て方がマズかったかな、とか、私がイケナイなぁとか、いろいろ考えるけど、でも、それでも子どものことを信じてるのよね。私は、子どもをホントウに愛してるし、それは、信じてるってことなのよ。こんな答でいいかなぁ」
そうあおいさんは言って、笑った。
ぼくは、グゥのネも出ずに、まるで納得していた。
やはり愛というのは、それを必要とする両者のあいだに、うまれるものなのだろう。
子は、母の愛を求め、母は子の中に自分の愛を見い出しているすがたが、思い浮かんだ。誰もが経験したはずの、うまれたての頃のすがたである。
そしてこの相関図は、まったく恋人どうし、結婚相手にも通じていくだろう。つまりおたがいの、「求め」が一致しているとき、ホントウに愛するということになるのではなかろうか。会いたいという一致、抱き合いたいという一致、ともかく愛し合いたいという一致、そしてその互いが互いに求めるところのものが一致し、それが互いに対してなされるとき、そこには何の矛盾もないホントウのような愛のすがたがあるようである。
横に座っていた、30歳くらいの青年も、「ホントウに愛する、できると思います」と言っていた。(初対面だったが)
そして彼はその理由を、明快に述べはじめたのだった。
人は人をホントウに愛することはできないだろうとぼくは思っていたのだが、「できる」とほとんど即答し、しかも明瞭なその根拠も持つ2人もの人に、昨夜は出会えたということであった。