(13)病を疑う 1

 それにしても、依存症。ありがたい、的確な、的を得た呼称!
 スマホ依存、アル中、恋愛依存、セックス依存などもあるらしいが、つまりは「度を超えて」「過ぎて」それをすることが、すなわち病気と称せられるということ。

 してみれば、行動しない、表面に表わさない、他者に気づかれないで「依存症」であれば、病気でも何でもない、と言える… だろうか。
 きっと、それはそれで、何かの病名が付くことだろう。何しろ、目に見えない「精神」が病んでいるのだから!

 あるいは、お得意の「脳」のせいにするだろうか。
 脳が焼かれてるんですよ、脳がパチンコでダメになっているんです、脳ですよ、脳、脳のせいなんです! と言うだろうか。

〈 すでに私は狂ってる 誰にも気づかせないで 〉

 あの人とセックスしたいと夢想するだけで、その時間が並・平均より長いだけで、依存症になるのだろうか。
 自慰行為に熱中する人間は、猿だろうか? 就労中の8時間、ずっとビールが飲みたいと思っていることは?
 好きなひとを思い続けることは? スマホが手元になくて、スマホをやりたい、やりたいと思い続けることは?

 人間には、所属願望がある!
 病名は、ひとりで悩む人間に、「あなたはこの病的グループに属します」と、医者が患者に安堵感を与える作用に効果があるのは、そのためだ。

 ほら見てごらん、あなたは〇×△症です、と、形のない心に形が与えられた時の、わけのわからぬ所属感
 僕は、以前自分が鬱病であるように思え、医者に行ったことがある。
 想像通りの診断が下され、薬を施された。飲んでみると、ただ頭がボーッとするだけである。
 このとき僕は、(ああ、自分が異物によってごまかされている)という感覚を強く持った。

 自分が自分を、自分でなくさせようとした!
 これほどの屈辱、恥辱はないと思った。
 こんなもの自分自身を委ねるほどなら、自分のままに狂い、自分のままに死んだほうがよほどマシだと思った。
 その自分が、わからないのだとしてもだ。

 僕は自分が、実のところ、わからない。
 ただ、この世で唯一の存在であるとは思っている。
 僕は、僕のすべてにおいて、僕と全く同じ、同一人物を知らない。
 そしてパチンコなり何なり、何かの対象によって、自分がそれに向かうことによって、ああ自分はこうなんだと知れるのみである。

 だが、それに引っ張られる、逆に言えば向かえる、その自分は、もともと存在した、もともとあった自分に違いないのだ。
 この自分とは何なのかということ、それを考える、真剣に考える作業を、ここでして行きたいと考え、書いている──