(15)逃避先から逃避すること

 さて、パチンコ三昧の生活に明け暮れていると、どうしたところで死を考えざるを得ない。金銭が、出て行く一方だからだ。
 僕の場合、このまま順調に行けば、老後どころか、もって2、3年後には路頭に迷う予定である。

 どうするのか? どうもする計画もない… 正直なところ、現在一緒に暮らしている彼女は、それなりに蓄えがあるだろう… 亡くなった僕の両親の遺産の半は彼女に渡しているからだ。
 ぼんやりと、そんなことを考える時はあっても、まだ僕には良心が生きている、残っている!

 僕は、預金口座からその数字が無くなった暁には、自主的に餓死をしたいと思う。
 彼女や友達、唯一の血の、純潔な血の繋がりである堅実な兄には、金銭面で頼りたくない。甥や姪、僕の成人した子どもになど、僕は死んでも頼らない、冗談ではない、この身が裂けても頼らない。

 今まで、僕の精神、僕を立たせてきたもの、生かしてきたものと言っていい、友人や、関わった人たちには、十二分に世話になってきた。これ以上、もう、ないのだ。
 ついでに言えば、10年ほど前に、一度、この自主的な餓死を試みたことがあった。7日ほど、何も食べなかった。それだけで、一種のトランス状態のような、ふわふわと身軽になって、不要な力も入らず、きっと安楽な心身になったことを覚えている。

〈生きているのではない。生かされているのだ〉

 そう、今一緒に暮らしている彼女に、僕はいわば延命されたのだ… そしてこの生命を、有効に使える手段、術を、私は知らない。
 ─── 昨夜のことを打ち明けよう。「よし、明日こそ行こう。北斗無双か、RAVEか、はたまたシンフォギアか…」などと、向かうべき台に胸をふくらませて寝た。

 だが、今朝目を覚ませば、こんなことを書いている… 良いことだ、良いことだ、これを書いている間は、あの店に行かなくて済む…ああ、永遠にこの手記を続けていたい!
 今日、もしあの店に行ったにしても、行かなかったにしても、僕の希望は叶うことになる。打ちたいと思うのもほんとうで、打たない方がいいと思うのも、嘘偽りなく、ほんとうだからだ。

 少し、趣味の話でもしようか。音楽鑑賞(モーツァルト、RCサクセション)、読書(モンテーニュ)の他に、「銭湯」が、僕の強力な趣味としてあるのだ。
 銭湯までは、家から歩いて30分ほど掛かる。万歩計は、往復約8000歩を表示する。
 行くまでに汗だくになり、帰るまでにも汗だくになる。しかし、この往復も含めて、これはきっと僕の趣味なのだ。

 ミストサウナに入り、水風呂に入り、炭酸風呂に入る。420円。1時間は、湯けむりの立つこの銭湯に居る。
 炭酸風呂は、きわめてぬるま湯で、実にゆっくり、水分さえ補給すれば、いつまででも浸かっていられる気になる。

 将来への不安、今現在の自分のこと、生活のこと… 要するにイヤなことも、この炭酸風呂に浸かっていると、ぼんやりしてくる。
 そして、今までこの僕と連れ添ってきたこの身体が、なぜだか愛わしく、いたわってあげたい、そんな気持ちにさせられるのだ。

 パチンコのために弱った腰、右腕。ずいぶん重い物も持ってくれた、腕。タバコもよく吸ってきた。
 酒もいっぱい飲んできた。まったく、この身体さん、よくこんな私と一緒にやってきてくれた… そんな思いにさせられる。

〈自分を苦しめるのは、やめた方がいい〉

 そう、思う。
 銀玉と紙幣の飛び交う、あの店にいる間も、僕は自分の中から、そんな声を聞いていた。行く、前から聞いてした。
 そして僕以外に、誰も、僕に「あの店に行け」と強制していない。僕が僕に、行け、行けと、僕は僕との関係によって、あの店に行き続けたのだ。

 ドストエフスキーを読め。歩け。庭に来るアナグマの対策をしろ。それより何より、働け。
 働くこと、働くことが、今自分の一番やるべきことなのだ… そう、いつも思う、よく思う、思わない日はない。