お小遣いで、初めて買ったアルバムがミュージックテープ(!)で、「中島みゆきベストアルバム」だった。小6の頃で、これは兄の影響を受けず、自分でひとりで好きになって、買った。
「オールナイトニッポン」の、みゆきさんのお喋りが、好きだったからだと思う。自動的に、曲も番組内でよく掛かって、好きになったのだ。
ラジオでは、すごい楽しそうにお喋りしていて、リスナーからの葉書を読み上げ、何か言っては、豪快にげらげら笑っていた。
女の人で、あんな大口開けて(聞いていて分かった)笑う人を、ぼくは初めて知った。聞いていて、こちらもとても楽しくて、自然に引き込まれた。
少年ジャンプでは、小林よしのりの「東大一直線」が連載を始めて、「ながら族」とか「徹夜勉強」というのに影響を受け、夜な夜なオールナイトニッポンを聞きながら、何か勉強する「ふり」をしていた頃だった。
あとになって、兄がみゆきさんの「生きていてもいいですか」などを買っているのを見て、自分の方が先だったゼ、と、優越をちょっぴり感じた。
しかし、その兄の買った「生きていてもいいですか」には衝撃を受けた。あんな音楽は、初めて聴いた。よく、こんな歌をつくれると思った。
「愛していると云ってくれ」「親愛なる者へ」、この3部作が、ぼくにとって、みゆきさんの世界の絶頂である。
当時の音楽雑誌に、みゆきさんのインタビュー記事があって、旅館らしい部屋で、一升瓶を横に置き、炬燵に向かって曲(詩?)をつくっている写真が、ひどく印象に残った。
ああ、大変なんだな、と、子ども心に思った。
中学生になると、ぼくは、女性の歌を聴くのが恥ずかしく感じるようになった。
親の目が、何だか気になって。
これは、小学3、4年の時、友達の影響でビートルズのEPを買って(これが初めて買ったレコードだった)、親に、ぼくは「不良」と思われやしないか、心配した感じと似ていた。
後年、安達祐実が主演したTVドラマ「家なき子」のテーマ曲もよかった。NHKの、何かフロンティア的な番組のオープニング曲も、よかった。
みゆきさんは常にみゆきさんで、声も昔と変わらない。
彼女自身の創造する「永遠の世界の住みびと」というイメージも変わらない。ただ、「夜会」コンサートあたりから、何となくついて行けなくなった。
プロデューサーの瀬尾一三さんは、「中島みゆきをつくるのに10年かかった」と言っていた。
みゆきさんには、「ケンカもできないで良い仕事ができるわけがない」という強い信念があるという話だった。一緒に仕事をするのは、大変なことだったかもしれない。
信念。譲れないもの。ないと、ダメなのかな、やっぱり。
さっきウィキを見たら、みゆきさんも御歳69である。
でも、80、90になっても、歌っているみゆきさんを、見てみたい。
歳をとったみゆきさんの歌を聴いてみたい。きっと、素敵であるような気がする。