与作

── しかし「チャットノベル」、楽しいなぁ♪

── 何よりだ。作者が楽しまなくちゃね。
お前はもともと対話文をよく書いていたから、合ってるんじゃないか?

── 文章も、リズムがだいじだからね。
たぶんこうして明確に「対話」ができる構図がつくられると、作者=〈私〉が完全に第三者になれるのだ。
これも、どこか無責任さを薄く感じながらも、一つの立派な手だなと思えもする。

── まぁ理屈は抜きにして… 今回は「与作」か!

──「昭和枯れすすき」はショックな歌だったけど、この「与作」は別の意味でショックだった。
これが演歌か!と。童謡とまで行かない、民謡でもない、これは純粋に日本の歌だなぁと思った。

── まぁ演歌だわな。
しかし演歌って何なんだ?

── それこそ日本にしかないジャンルだろうね。他の国には絶対にない!
70年代のフォーク、のちにニューミュージックと呼ばれていた人たちの歌も、今聴き返せば演歌みたいに聴こえる時もある。…松山千春の「恋」とか中島みゆきの恨み節的な歌、河島英五の「酒と泪と男と女」とか。

でも演歌ってのは確固として揺るぎない、日本独特のものだろうよ。「音頭」もそうだね。
あまり積極的に聴いたことはないが…。

──「与作」は、お前カラオケでも歌えそうだな。楽しそうに。
何といってもやはり情景が浮かぶ歌だ。
木を切って、夕暮れになって、女房が呼んで…
北島三郎って、すごかったんだな。

──「昭和枯れすすき」はデュエットで、「与作」はひとりで喜んで歌える。
今まで紹介してきた女性ボーカルの歌も、なかよしの友達とよく歌ったもんさ。
歌ってほんと素晴らしいよ。気持ちも込められるし、気持ちも晴れる。
歌わなきゃ!

── しかしやっぱり言葉って大事だな。
「手紙」とか「電話」とか、よく歌詞に出てくる。
これが「メール」とか「ケータイ」だとダメだろうな。
情緒に訴えかけるものがないというか、薄っぺらく感じられる。
その感じから、ふさわしいメロディもつくれない… ふかみがなく、インスピレーションも失われる感じがする。
気のせいかな?

── まぁ昔は「電話」ってのは動かないものだったからね。
手紙も、やっぱり味ってのがあるんだろうと思う。
」としてあったものだから、確かな存在感をもって。
ケータイは薄いし簡単に消せるし… 親指一本で!

── 人間も存在としては「物」だから、あまり大切にされなくなっているのかもね。
その関係も…

── ふだん目にしているものが精神に、心に影響するだろうからね。
でもそれが求めるものが、現実に「在る」ということも事実で。
人間が求めてきたものが今現実になっているんだ。

youtubeでいろんな音楽を聴けるのは嬉しいけど、作り手のこと、作曲者のことを考えると、喜んでばかりもいられないよ… 「作品」が作りにくいと思う。一枚のレコード、CDとして。
何でもストリーミング?ダウンロード?だか何だかして、聴かれちゃうんだから…。それは作品というより空気だよな。
形がない! 「物」として存在していないんだよ。

── この作者もニックネームだもんな。
やっぱり何か文章を書いて公の場に出すのだから、自分の名前で、責任をもって書きたいよな。

── 無責任な思いで書いては来なかったつもりだよ。
嘘をつくことは大罪だと思ってる。自分に対しても。

でも本名をさらしたりすると、よろしくない空気があるよな…
悪い人が増えたのだとしたら、あきらかに民度、人のレヴェルが下がってきてるよな。
ほんとに自分のことしか考えられないなんて、あり得ないと思うんだが。

── 人の気持ちを考えることができるからこそ、意地の悪い人間の能力が発揮されるんだろう。
せっかくの能力が泣いているよ。誹謗中傷なんて、かなりのものらしいからなぁ。
でも人は変わる。その人の意地の悪さもその時を過ぎれば収まるかもしれん。

── 俺は免疫があるけど、傷つく人はほんとに傷ついてしまう。
それをわかってやってくるんだからな。
親しい人がそんな目に遭ってたら、絶対守りたいな。

── お前に親しい人なんていたっけ?
… 長くなったし、終わろうか。ちょっと暗い話になったか。
口直しに、その演歌? 松山千春の「恋」だ。