(14)花火の時間

 彼は、自分勝手な男だった。
 彼女も、自分勝手な女だった。

 彼は今日、定刻通りに職場から帰宅し、「これから花火があがる」と言った。
 近くの山で、花火が。ふたりの住む家の二階から、その花火はよく見えるのだ。
 彼女は、「あ、そうなんだ」と言って、焼いていた餃子を蒸す段階に入った。
 チャーハンも作り、わかめスープも暖めた。

「二階に行ってるね」と彼は言った。
 彼女は、うん、と応えた。
 できあがった料理を、テーブルに置く。だが、彼はずっと降りてこない。
「できたよー」
 階段下から、彼女は彼を呼んだ。
「はーい」と声がした。

 待ったが、降りて来る気配がない。何してんだ、まったく… 彼女はひとり不平を言った。
 業を煮やし、彼女は二階に上がった。
 真っ暗だった。
「何してんの、冷めちゃうよ」
 いらいらしながら、言った。
 彼は、窓辺に立って、花火のあがる方向を見ている。
「うん… 年に、一回だからさ」

 彼女は、しょんぼりしながら階段を下りた。
 湯気のたったスープ、餃子が冷めていく。
 構うものか、構うものか。自分の部屋のフスマを閉め、閉じこもった。
 泣きそうだった。

 ドン、ドン、と花火のあがる音がする。

 彼が階段から降りてきて、「いただきまーす」とフスマに声をかけた。
「はーい」と彼女は声で応えた。
 もう、冷め切っているだろう。私が悪いのだ。
 花火のことなんかより、自分の料理に夢中になった、私が悪いのだ。

 彼は彼で、せっかく彼女が、自分の帰宅時間に合わせて作ってくれた料理より、花火を見たい自分を優先させたことに、重い責任を感じていた。

 そして時間が、もし戻ったとしても、彼女は自分が料理に熱中していただろうことを想った。
 彼は彼で、もし時間が戻っても、花火を見たい自分を抑え切れなかっただろうと想う。

 彼は、ひとり食べ終えた食器を洗った。
 彼女は、引きこもったままである。
 夜になり、「おやすみ」と言い、彼は彼の寝室への階段を上っていく。
「餃子、美味しかった」を付け加えて。

 彼女も、自然そうに「おやすみ」を言った。
 フスマ越しの、声だけのやりとり。

 彼らには、「ごめんなさい」「いいよいいよ」の会話もなかった。
 これからも、この身勝手な自分自身とつきあい、ふたりで生活をして行くだろうことを知っていたから。