(5)愛憎、分け合って

 このようなことを書き、更新すると、わたしの手元のスマホが鳴った。
 わたしの貴重な読者、Kからだった。
 彼は、切羽詰まった声で訴えはじめた、

「もしもし、(4)を読んだけどさ、これはムリだよ。うちの場合は、」とくぐもった声で言う。

「もう何年もレスだよ。切実な問題だよ。何年もしていない。
 これからもないだろう。この苦しさ、わかるか。
 夫婦なのにさ。一緒に、一つ屋根の下に暮らす、男と女なのにさ。

 といって、浮気もできない。
 そんな、風俗にも行けない。彼女に悪いと思うからさ。
 ぼくはもう、後にも先にも、そういう関係を彼女と結べないし、女性と性的に交われないのだ。

 このやるせなさ、苦しさ、きみにわかるか?
 ぼくだって、なんでこんな面倒な情欲を抱くのか分からないよ。
 理性で対処なんかできないよ。
 きみの言いたいことは分かるけど、現実的じゃないよ。

 ぼくは、未来永劫、女性とそういう関係を結べない。
 活力、ぼくの生命的な活力は、永遠に閉じ込められたままなんだ。
 空気孔のない暗い部屋に閉じ込められて、窒息しそうだよ。
 これからも、ずっとずっとなんだよ。

 きみが考えているほど、性は軽くない。
 ぼくの妻は、大切な人生の伴侶だ。
 これ以上望むべくもないパートナーが(まったく、性のこと以外は完璧なんだ)この性のたった一点のために、ぼくは失ってしまうそうなんだ。

 それはきみの書いている通りだよ。
 でもそれは、この窮状の真っ最中にいる人間、少なくともぼくには、机上の空論だよ。
 冷たい、血の通わない、むなしい論文に見えるよ」

 ── 彼は、一気にまくし立てた。
 声が、切羽詰まって乾いていた。

 わたしと彼は、昔、恋に発展してもおかしくない関係だった時がある。
 彼はモテ男だった。といってチャラ男ではなく、善人にも悪人にもなれない中途半端な男だった。

 彼の伴侶のことも知っている。彼女は堅実な、地味な女だ。
 たがいに、「ないものを持っている」相手に吸引され、寄せる波に逆らわず、ふたり波に乗って一緒になった経緯がある。

 最初の数年は順調だった。
 だが、それこそ永遠に続きそうな彼の「求め」に、彼女が食傷を来たした。

 彼女は「それはそれ」と割り切って、だが彼は、割り切ることができなかった。
 レスになった過去に引きずられ、情欲に引きずられ、レスであり続けるであろう未来に引きずられている…

「なにも、まじめなことが、いいわけでもないでしょう」
 わたしは力なく言った。

「浮気でも何でもなさいよ。悪いことをするのも、良いことをするのも、同じパワーじゃない?
 あなたの中から湧き出るマグマだよ。ワルくなってもいいじゃない。
 倫理や道徳よりも、大切なものがあるでしょう。してはいけないって、頭ごなしに抑えつけるから、行き場がなくなってるんでしょ。

 どんどんワルくなりなさいよ。
 なろうとして、なれないんだったら、あきらめもついて、あなた自身サッパリするでしょう。
 あなた自身から始めなよ、倫理や道徳を持ってきてフタをしないで、あなたの中から、あなたから始めなよ」

 彼は、スマホの向こうで黙り込んだ。

「思い通りにならない相手を」
 わたしは続けた、
「憎らしいと思ってるんでしょ。もっともっと憎みなさいよ。
 思い切り憎んで、それでもホントに憎み切れなかったら、またホントに愛せるようになるんじゃない?
 蛇が脱皮するみたいに、新しい関係になってくんじゃない?」

「…、ん、わかったよ」
 泣きそうな声が聞こえた、
「でも彼女、傷つくんじゃないか、ぼくが他の異性と関わったりしたら、傷つくんじゃないか」

「だってあなただって傷ついてるじゃない。
 一緒に生活していくなんて、苦しさも楽しさも一緒に味わうことになるんだから。
 片割れのあなたが、ひとりで自分を閉じ込めていないで、解放なさいよ」

「うん、ありがとう… できないかもしれないけど。いや、できない公算の方が強いな」
 彼は仕方なさそうに笑って言った。

「いい子であろうとしてちゃダメだよ。
 あなた自分自身であることで、あなたと彼女の世界、ふたりの世界、できあがってくよ。
 別れたとしても、それもひとつの出来上がりだよ。

 ひとりになったら、またあなたはそのあなたを超えていくのよ。
 彼女は彼女で超えていく。
 別れなかったら、続く関係の中で、あなたはあなたを超えていくのよ。

 彼女も彼女で超えていく。
 どんな形であれ、あなたも彼女も、自分自身から逃げられない…」

 わたしは、冷たいスマホに向かって悪魔のように囁いていた。