「匂いがないのが、もっとも良い匂いだよ」
イタチが言った。
「音のない世界が、いちばん良い音を奏でている」
コオロギが言った。
「言葉を発しない者が、もっとも雄弁に語る」
ヒトが言った。
それを聞いて、フクロウが言った、
「そうだろう、そうだろう。最後のイタチっ屁を放つおまえは、それが火急の時だからな。
そんな危険のない世界を良しとするだろう。
恋を求めて鳴くおまえは、鳴く必要がなければ満たされているからな。
喋らないおまえは、おまえと接する相手に多大な想像をさせる。
そりゃ雄弁に匹敵するだろうからな…」
フクロウは、さらに言った、
「しかし、匂いはあるものだ。
音もある、言葉もある。
それらは浮かび上がり、それをつかむ者によって良し悪しの判断をされる。
悪臭を放って敵を退散させ、良い音を発して伴侶を呼び、言葉を選んで理解されようとする。
何がそうさせているのだろう?」
「自分の身を守るため」
イタチが答え、
「こどもをつくるため」コオロギが答えれば、
「理解されるため」とヒトが答えた。
「ヒトよ、おまえだけ、受動的だな」
フクロウが言った、
「おまえの主体はどこに行ったのだ?」
「受け身にできているんです」
ヒトが言う、
「相手や周囲のことを、考えるようにできているんです」
フクロウはからから笑った。
「他者のことを考えるふりして、自分のことしか考えていないのが実情だろう」
「でも、ほんとに考えているんですよ、自分以外の相手を」
ヒトは抗議した。
「そこまでひねくれた性根は、どうして出来上がったのかね」
フクロウが言う、
「本能でないものを、本能だとまでしてしまう、ねじくれまがった性根は。
まわりのことを本気で考えられるなら、もっと平和な世界になったろうに。
ヒトよ、おまえだけだよ、思いやりだの優しさだの言いながら、傷つけ合い、自死や殺傷、物騒な世界をつくっている生物は。なんでだと思う? 」
「そりゃ、」
ヒトは、べらべら喋り出した。
べらべら。べらべらべらべら…
土を掘り、食べ物を探すイタチを、オオカミが身を伏せて見つめている。
鳴き続けるコオロギを、ヤモリがじりじり見つめている。
ヒトは、喋り続けている。
フクロウは、ほうほう聞いている。
月に照らされた、夜の森。
(森の支配者ぶったヒトは、自分自身を支配することを忘れているようだ)
フクロウは思った。
(外敵を失った種族は、内に敵をつくりだす。そうして自滅していった生物を、わしはずいぶん見てきたよ)
思っているだけで、口にしない。
相槌をうって、話を聞く。
ほうほう。ほうほう。
森の静けさ、平和の静けさに対する、せめてもの畏敬。
静寂を、破り続ける、ヒトへの憐憫。
生命に必要のない言葉、匂い、音ばかりつくるものを、枯れ枝にとまってじっと見つめている。