こんにちは!
すっかり冬が、まるでなかったように消えました。
こないだ年が明けたふうに思うのですが、もう半年も過ぎゆきます。
ツツジが終わってアジサイが。
それから雨が、誰がつくったか知れないものが、つくられた建物、道路、電車を濡らし、またひとつ、景色、彩られていくのでしょうか…
彩られるものは、何なのでしょう? 町並みなんかが雨色に染まっても、それは町そのものが色づけられたのでしょうか。それとも、それを見る私の眼が?
先日、奇妙な動物を見ました。
透明の、ブヨブヨしたゼリー状のものだったのですが、それが「物」であり「動くもの」であるのが、その輪郭によってわかりました。
それはたしかに、生命のようなものを含んでいるようでした。いや、生命に含まれたようなものだったのかも知れないですが…
ヒトがコワイ。ヒトがコワイ。彼(彼女?)は、そういっているように見えました。そうして、私の腕にぬめぬめと絡みついてきたのです。
私は、飛び上がりました。湿り気に満ちた生命体が、私の身体に触れた、その皮膚感覚からの嫌悪ではありません。気分が悪くなる、生理的な拒否でもありません。
ヒトがコワイ、ヒトがコワイといいながら、ヒトである私に絡んできた、その矛盾、相反したものがひとつになって存在している生命体そのものに、私はおそれおののいたのでした。
それは、私に振りほどかれると、シュンとした影を落として地面にへばりつきました。
私はなんとなく哀れに感じて、そいつに手を差し伸べました…抱擁し、キスさえしてやりました。
来月、私が結婚するのは、この生命体とです。
これとなら、不幸も幸せも、悲しみも喜びも不安も安心も、同時に共有できると思ったからです。
こいつと私が、ふたりで共有・共感するのではない。こいつはこいつで、すでにふたつの相対をもっているのです。私は私で、つめたく振り払った同じ腕で、やさしく今度は抱いている。
こいつは、私の自己撞着を許すでしょう。こいつは矛盾の塊です。
この生命体を構成する細胞は、矛盾です。私の矛盾をさえ許容できないなら、バラバラになって跡形もなく崩れてしまうでしょう…
1つのなかに、もっているもの、2つ。1つのなかに、もっているもの、2つ。
お互いを、ワタシ・アナタとしての「お互い」として認め合う以前に、もっているもの。
そこにそれぞれが重心をおきながら、しかし一緒に生きていくという仕方で、共有・共感するわけです。
何を共有・共感?生きていくということを。私は、できるだろうと思いました。できないだろうとも思いました。
彼(彼女?)は、もちろん否定しながら肯定し、肯定しながら否定しました。
では、来月、K式場で。