(20)春

 こんにちは!
 すっかり冬が、まるでなかったように消えました。
 こないだ年が明けたふうに思うのですが、もう半年も過ぎゆきます。
 ツツジが終わってアジサイが。
 それから雨が、誰がつくったか知れないものが、つくられた建物、道路、電車を濡らし、またひとつ、景色、彩られていくのでしょうか…

 彩られるものは、何なのでしょう? 町並みなんかが雨色に染まっても、それは町そのものが色づけられたのでしょうか。それとも、それを見る私の眼が?
 先日、奇妙な動物を見ました。

 透明の、ブヨブヨしたゼリー状のものだったのですが、それが「物」であり「動くもの」であるのが、その輪郭によってわかりました。
 それはたしかに、生命のようなものを含んでいるようでした。いや、生命に含まれたようなものだったのかも知れないですが…

 ヒトがコワイ。ヒトがコワイ。彼(彼女?)は、そういっているように見えました。そうして、私の腕にぬめぬめと絡みついてきたのです。
 私は、飛び上がりました。湿り気に満ちた生命体が、私の身体に触れた、その皮膚感覚からの嫌悪ではありません。気分が悪くなる、生理的な拒否でもありません。

 ヒトがコワイ、ヒトがコワイといいながら、ヒトである私に絡んできた、その矛盾、相反したものがひとつになって存在している生命体そのものに、私はおそれおののいたのでした。
 それは、私に振りほどかれると、シュンとした影を落として地面にへばりつきました。
 私はなんとなく哀れに感じて、そいつに手を差し伸べました…抱擁し、キスさえしてやりました。

 来月、私が結婚するのは、この生命体とです。
 これとなら、不幸も幸せも、悲しみも喜びも不安も安心も、同時に共有できると思ったからです。
 こいつと私が、ふたりで共有・共感するのではない。こいつはこいつで、すでにふたつの相対をもっているのです。私は私で、つめたく振り払った同じ腕で、やさしく今度は抱いている。

 こいつは、私の自己撞着を許すでしょう。こいつは矛盾の塊です。
 この生命体を構成する細胞は、矛盾です。私の矛盾をさえ許容できないなら、バラバラになって跡形もなく崩れてしまうでしょう…

 1つのなかに、もっているもの、2つ。1つのなかに、もっているもの、2つ。
 お互いを、ワタシ・アナタとしての「お互い」として認め合う以前に、もっているもの。
 そこにそれぞれが重心をおきながら、しかし一緒に生きていくという仕方で、共有・共感するわけです。

 何を共有・共感?生きていくということを。私は、できるだろうと思いました。できないだろうとも思いました。
 彼(彼女?)は、もちろん否定しながら肯定し、肯定しながら否定しました。

 では、来月、K式場で。