ある晴れた日に、私は外へ出た。すると、商店街に、ひょっとこの面を被った男と出くわした。
男は、ドジョウすくいをするような恰好をして、両手を頭の上にひらひらさせながら踊っていた。
「すみません、私は、これからどうやって生きて行ったらいいんでしょうか」私は訊いた。
「知らないよ、知らないよ」男は答えた。
「私も、知らなくて、困っているのです。どうか、思い当たることを、教えてください」私が言った。
「じゃ、教えてあげよう」と男は言った。だが、何を言おうとしていたか忘れてしまった。
「そういうことなんですね。そういうことなんですね」私は納得し、礼を言い、歩いて行った。
一週間後、私は、またひょっとこの男と道で出会った。
「覚えていますか」
「知らないよ、知らないよ」男は言った。
「私も、覚えていません」私が言った。
「あなたとお会いするまで、私が私であることも、忘れていました。
忘れている間、私は生まれたての赤ん坊のようになりました。
とてもいい気持ちです。何も知らず、知らないままでも、生きることができることを、忘れていました。
いや、忘れることさえ、忘れていました。
何も覚えず、何も知らず、ただ私は石のように転がっているようです。
私は、自分が生きていることも忘れようと思います。
思うようにする、思わないようにする、そんなはからいも、忘れるように、忘れます。
実は、さっきまで、何もかも忘れていたんですよ」
礼を言って、私は男と別れた。