さて、大木の洞穴が、その形に応じて、さまざまな音を立てるように、人間の心もまた、そのありかたに応じて、喜怒哀楽さまざまに揺れ動く。
大知のあるものは、ゆうゆうとして迫らず、小知の持ち主はこせこせとしてゆとりがない。
偉大な言葉は、燃えさかる炎のように美しく、つまらぬ言葉は、いたずらに口数が多いばかりである。
多くの人は、寝ている時は、夢の中で魂が物と交わり、さめている時は、身体の感覚が働いて外物と接する。
このように、たえず外物と接して交わりを結び、そのため日ごとに心が物と戦うことになる。
その物との交わり方も、またさまざまである。
ゆるやかなものがあり、深く入り込むものがあり、こまやかなものがある。
小事を恐れるものは、たえずびくびくしているが、真に大きな恐れを持つものは、かえってゆうゆうとして余裕があるように見える。
まるで機や栝を放つ時のように素早い、という形容は、凡人が是非を立てて争う時のたとえにふさわしく、まるで神との誓いを守るかのように頑固であるとは、凡人が手に入れた勝利を失うまいとして守るさまの形容としてふさわしい。
秋や冬の季節が植物を枯らしていくようだという形容は、凡人が毎日その生命をすり減らしていくたとえにふさわしい。
このようにして凡人は、いよいよ深みに溺れていき、再びこれを元にかえすことは不可能となる。
欲望の世界のうちに固く閉じ込められているという表現は、老いていよいよ道を踏み外す人間の形容にふさわしい。
このようにして死に近づいた人間の心は、もはや、蘇らす術もないであろう。
── 手厳しい。「荘子」はさまざまな人たちが書いたものだから(この「内篇」は荘子本来の思想に最も近いとされるが)、これを書いた人は、まあ、荘子の考えをこう表現したのだろう。
特に、面白くもない。ああ、そうですか、という感じだ。
何が云いたいのかも、よく分からない。いや、分かるが、「で?」という感じ。
ただ、これを書いた人の気持ちは分かる気がする。
荘子は戦乱の時代を生きた。どうしたら世を平穏に治めることができるか、という時、為政者に「こうしたらどうか」とアドバイスする人達(諸子百家)が、いたらしい。
インドやギリシャでも、宗教・哲学という形でさまざまな思想があったように、中国でもそのような思想が儒家、道家、法家、「~家」と呼ばれる「派」があった。(孔子の「儒教」が世に最も浸透しているように思える)
荘子は、そんな「自分の思想こそ正しい」と声をあげる「知識人」から一線を画した。
この点、ブッダととても似ている。真のものは、相対を超えてあるものだ。こっちが正しい、お前は間違っている、などという「争い」に加わりようがなかった。そんなところに、真のものはないからだ。
だから、荘子は孤独であったらしい。誰もが「生」を美化するのに、荘子は「死と生は同列である」とした。生命に、差別なんかないのだから。万物に、差別なんかないのだから。人間が、そうしているだけなのだから。
だからこれを書いた人は、嘆いているようにも見える。これが正しい、これが間違いだ、と、やいのやいのやっている、欲深き人たちを。
「真に大きな恐れを持つものは、かえってゆうゆうとして余裕があるように見える」とは、荘子のことだったのではないかと思う。
恐れ、というより、畏れ… 大いなるものへの畏れ、のような気もする。その畏れを道にして生きたのが、荘子そのものだったように思う。