齧缺は、さらにたずねた。
「先生は利害を心にかけられないようですが、それなら至人── 道に到達した人も、利害などをまったく心にかけないのでしょうか」
すると、王倪は答えた。
「至人は霊妙なはたらきの持ち主である。たとえ大きな沢の草むらが焼けようとも、至人を焼くことはできず、たとえ黄河や漢江が凍っても、至人を凍えさすことはできない。
たとえ激しい雷が山を打ち砕き、大風が海をゆすることがあっても、至人を驚かすことはできない。
このようにして至人は、雲気に乗り、日月にうちまたがって、四方の海の外にまで遊ぶのである。
生死でさえ、至人の心を動かすことはない。まして利害のけじめなど、問題にもならない」
── どこかで見たような内容。
そう、同じようなことを言っている箇所が多い、荘子は。
寂聴さん流にいえば、「変わっちゃったら、おかしいでしょう」となるだろう。
繰り返すこと。この「反復」は、ちょっとクセになる。心地よい。
まして、短文で読み易い荘子だ。それに、言っていることが面白いから、この反復のうちに、何か宝でも埋まっているような、この地面を掘ってみたい、もっとあれこれ想像し、考えたいような気持ちにもなる。
荘子は、ただ、言っているだけだ。
こちらは、なんだか、自由な気になる。