斉物論篇(二十一)

 齧缺げっけつは、さらにたずねた。

「先生は利害を心にかけられないようですが、それなら至人しじん── 道に到達した人も、利害などをまったく心にかけないのでしょうか」

 すると、王倪おうげいは答えた。

「至人は霊妙なはたらきの持ち主である。たとえ大きな沢の草むらが焼けようとも、至人を焼くことはできず、たとえ黄河や漢江が凍っても、至人を凍えさすことはできない。

 たとえ激しい雷が山を打ち砕き、大風が海をゆすることがあっても、至人を驚かすことはできない。

 このようにして至人は、雲気に乗り、日月にうちまたがって、四方の海の外にまで遊ぶのである。

 生死でさえ、至人の心を動かすことはない。まして利害のけじめなど、問題にもならない」

 ── どこかで見たような内容。

 そう、同じようなことを言っている箇所が多い、荘子は。

 寂聴さん流にいえば、「変わっちゃったら、おかしいでしょう」となるだろう。

 繰り返すこと。この「反復」は、ちょっとクセになる。心地よい。

 まして、短文で読み易い荘子だ。それに、言っていることが面白いから、この反復のうちに、何か宝でも埋まっているような、この地面を掘ってみたい、もっとあれこれ想像し、考えたいような気持ちにもなる。

 荘子は、ただ、言っているだけだ。

 こちらは、なんだか、自由な気になる。