人間世篇(五)

 そこで顔回がんかいは、また言った。

「それでは、内心はまっすぐでありながら、外面だけは婉曲えんきょくにふるまい、自分の意見を述べながらも、これを上古の故事にことよせる、というようにすればいかがなものでしょうか。

 心の内がまっすぐなものは、天と仲間になるものです。天と仲間になるものは、たとえ相手が天子であっても、その天子と自分とは、ひとしく天の子であると自覚するものです。

 そうなれば、相手が自分の意見をよしとして認めてくれることを、求めたり求めなかったりすることもなくなります。

 このような人間を、世の人は童子どうじのようだと申しましょう。これが天と仲間になるということです。

 また外面を婉曲にするものは、人間と仲間になるものです。たとえば、ひざまずいたり、身を折りかがめたりすることは、臣下としての礼ですが、他の人もみなやっていることですから、私だってやるまいとは思いません。

 人のする通りのことをしているものには、人もこれに危害を加えることはありますまい。これが人と仲間になるということです。

 自分の意見を述べながらも、これを上古の故事にことよせるということは、古人と仲間になるということです。その言葉には、相手を教えたり責めたりする内容が含まれているものの、その言葉自体は古人のものであり、私のものではありません。

 このようにすれば、たとえそれが率直な意見であっても、差し障りが起こる心配はないと思います。これが古人と仲間になるということです。

 このようにすれば、いかがでしょうか」

 すると、孔子は言った。

「いやいや、それもだめだ。あまりに小細工こざいくが多すぎて、すっきりしないよ。

 ただ、つまらない方法ではあるものの、誅罰ちゅうばつを受けないですむのが、せめてものとりえだが。しかし、ただそれまでのことだ。

 それだけで、どうして人に教化を及ぼすことができようか。お前はまだ、自分の分別心を師とすることから離れていないのだよ」

 ── 顔回、えらいなあ。どうしたら、衛の国を平和にできるか。暴君と、仲良くなれるか。どう、対するか。よく、考えた!

 が、孔子はやはりすげない。「それではだめだ」というばかりである。