大宗師篇(十三)

 子桑戸しそうこ孟子反もうしはん子琴張しきんちょうの三人が、たがいに友となろうとして、語りあった。

「おたがいに無関係でありながら、しかも関係をもち、相手のためにしないで、しかも相手のためになるような人間はいないものだろうか。

 人為を離れて天にのぼり、差別を消す霧のうちに遊び、無限の境地をさまよい、有限の生を忘れて、はてしない変化の世界に生きるものはないだろうか」

 そう言ったのち、三人は顔を見合わせて笑い、心からうちとけて親友になった。

 そののち、しばらくは事もなく過ぎたが、やがて子桑戸が死んだ。葬式の済まないうちに、孔子はその死を聞いて、弟子の子貢しこうを手伝いにやらせた。

 すると孟子反と子琴張のふたりがいて、ひとりは蚕棚かいこだなのすだれをあみ、ひとりは琴を鳴らし、声をあわせて歌っていた。

「ああ桑戸よ。ああ桑戸よ。お前はもはや真実の世界に帰って行ったが、わしらはまだ人間の世界に残ったままだよ。ああ」

 これを見た子貢は、小走りに走り寄ってふたりに尋ねた。

「ちょっとおうかがいしたいのですが、死人を前にして歌うのは、礼にかなったことなのでしょうか」

 するとふたりは顔を見合わせて、にやりと笑いながら言った。「この男には、礼の意味がわからんとみえるな」

 子貢は帰って、孔子に報告した。

「あのふたりは何ものでしょうか。礼儀作法はまるっきりなく、なりふりをかまわず、死人を前にしながら歌い、悲しげな顔つきさえ見せないありさまで、まったく何とも言いようのない連中です。あれは一体何ものなのでしょうか」

 すると、孔子は答えた。「あのふたりは世俗の外に遊ぶものであり、それに反して私は世俗の内に遊ぶ人間だ。世俗の内と外とは、かかわりあうべきものではない。それなのに私がお前を弔問にやらせたのは、何としても私の不明によるものであった。

 あのふたりは造化者と友になり、天地根源の一気の世界に遊ぼうとするものだ。彼らはこの人生を、顔にくっついたいぼ・・たれこぶ・・・・のように無用の邪魔ものと思っており、死を、吹き出物やれ物がつぶれたぐらいにしか思っていない。

 だから、このような人間にとっては、生と死の優劣がどこにあるのか、全く問題にもならない。

 人間の身体は、さまざまな異なったものをかり集め、これを一つの形体につくりあげたものとしか見ないのだから、どこに肝臓があり胆嚢たんのうがあるのやら知ることもなく、耳目のあることにも気づかないありさまである。

 このようにして生死の循環を無限にくりかえし、どこが始めとも終わりとも知るよしがない。あてどもなく俗塵ぞくじんの世の外をさまよい、無為自然のはたらきのままに逍遥しょうようするのである。

 このような人間が、どうして仰々しく世俗の礼をとりつくろい、衆人の眼前に見せびらかすことがあろうか」

 ──「おたがいに無関係でありながら、しかも関係をもち、相手のためにしないで、しかも相手のためになるような人間」!

 そう、こんな関係、人間との関わりあい方、それぞれの存在、それぞれでありながら、それぞれに、それぞれのためになるという関係。理想だなあ。

 無関係でありながら、関係し合う関係。

 自己と自己との関係を根本にして、自分の内の中に遊び。
 何かがはじけ、飛び散ったカケラが、他のカケラともぞもぞ交じり合う。

 かれらに、何の意思も意図もない。

 カケラたちは、どうしてこうなったのかも知らぬまま、知ろうともせず、あるべき形を知っているように動いて行く。

 何を訊かれても、かれらはこう答える、「こうなってるから、こうしてるだけだよ」。

 静かだ。

 かれらは知っている、ぼくらの知らないこと、知れないことを。

 知らないままに、知っている。

 手放されたかれらは、すっかり自由そうで、穏やかで繊細そうで、平和的にみえるなあ!

 でも、なんで飛び散ったのか分かんないんだけどな、こっちも。