(7)嫉妬の真相

 私は嫉妬した。

 私は専業主夫である。彼女からは、たまに、職場の話を聞いていた。
 わけのわからん上司がいること、とても感じのいい初老の先輩がいること、今日はひどい客が来た、等々。

 ある日彼女は、軽やかに帰ってきた。
 たいてい、ああ今日も疲れた、というふうに帰ってくるのに。

 彼女の仕事はシフト制で、一緒に仕事をする相手が、その日によって変わる。
 どうやら、Aという男と一緒の時、彼女の機嫌が良く帰宅することが判明した。

 一度だけ、私もAと会ったことがある。
 職場で破棄する大量の座布団を、モッタイナイということで多くの社員が家に持って帰ることになった。
 社員は皆車で通勤していたが、彼女は徒歩通勤。
 で、その座布団を二枚、家に車で運んでくれたのがAだった。

 なるほど、細面で、腰も低く、そして彼は赤いBMWに乗って、颯爽としていた。
 一言でいって、好青年であった。

 その時、私は単純に、ああ良い男だ、と思った。
 きっと、友達にもなれるだろう。
 だが、つきあううちに、お互いにつまらないと感じるだろう、彼と私は、仲良くなることしかできないだろう、判で押したような関係に、お互い気詰まりになるだろう、とも思った。

 その後もAは、雨の日などに、彼女を私の家のそばまで、車で送ってくれた。
 そして彼女は機嫌がいい。

「帰り、早かったねえ」私が言うと、
「誰に送ってもらったと思う?」と彼女が応える。

「Aさん!」私が言えば、
「当ったり~!」身軽に応える。

 私は、私のなかに不穏なものが頭をもたげるのを感じた。
 それは、自分でも思わぬ形で態度に出た。

 その日は、「少し遅くなる」と言っていたのに、早く帰ってきたことに、異常な腹立たしさを私は顔に出した。
 もちろん、Aに送ってもらったのだ。

「予定が狂った…」私は言い捨て、いそいでフライパンで野菜炒めを作る。
 その日はホッケを焼く予定だったのだが。

 私は、彼女の帰宅時間に毎日神経をとがらせていた。
 暖かいもの、出来立てのものを食べてもらいたかった。

 お腹をすかせて帰ってくるので、すぐお膳に出したい。
 ホッケを焼き、大根おろしを添え、準備万端で彼女の帰宅を待ち構えたかったのだ。

 それが、早く帰ってきたために、ホッケが焼けない!
 しかも、「簡単なものでいい、インスタントでもいい」などと彼女は言う。

 私に気を使ってくれたのだろうが、そんな気配りは、私を殺すも同然だ。
 私の、彼女への愛の表現、「料理」への否定、冒涜、背徳だ…

 もちろん、Aの影が私の心に忍び寄っていたのも否まない。
 そして私は、これは確かに嫉妬だと思った。醜い、醜悪な感情である。

 だが、私はよくよく自己検分してみた。
 この嫉妬、よくみつめれば、私のコンプレックスに因を発している。

 私は専業主夫なのだ。男の分際で、女に養われるとは何事か。
 世の男は、みんな、働いているではないか。
 そして私は、ある決定的な自分の立ち位置に愕然とした──

「私は、彼女なしでは生きて行けないのではないか?」

 貯金も、彼女がすべて牛耳っている。
 私は、彼女がいなければ文無しだ── この自覚。
 急激に訪れた、「自分は一体何なのだ、この女なくして生きて行けぬような自分…」

 私は彼女に、敵意の目で見やるようになった。
 ふつうに接しようとすると、泣けてくるので、にらみつけるように彼女を見やるようになった。

 彼女は私の心情を知ってか知らずか、しいて「ふつう」に接しようとしている姿勢がうかがえる。
 そして私はふつうに接せない。

 私は、主夫である自分に「私は主夫です」と公明正大に言える自信をもっていたならば、疲れて帰ってこなくさせるありがたい同僚Aに、むしろ感謝しただろうと思える。

 彼女は私を愛してくれているし、それについて不信を抱く理由はないはずだった。
 私の生活形態、社会的にマイノリティーである主夫という自意識、そこから派生する劣等感が、私のAへの小さな嫉妬心を肥大化させ、私を卑小化させたと思うのだ。

 ところで、世の専業主婦は、一蓮托生を、その夫と決め込んで、やっているのだろうか。
 この男がいなくなったら、生活が成り立たない。
 自分は何のために生きているんだろう、この男なくして自分は生きて行けない、自分という存在は何なんだろう。

 そう考えて、言いようのない不安に駆られる時はないんだろうか。

 それとも、愛した男と一生をともにすることに、女は本望と本気で思えているんだろうか。
 男だけが、世間体を気にしているんだろうか。
 専業主婦を劣等感にもつ女を、私は知らない。