(16)さようなら、おかえりなさい

 難解と言っていいきみの著作は、きみ自身が言うように、きみが生涯愛したレギーネに向けて(常にきみの心に必ず彼女がいたから)書かれたと思う。
 しかしその著作一つ一つには、きみのレギーネとともに、現実の事実に対する矛も向けられていたよ。きみの晩年に起こった、きみが起こしたと言うべきか、れいの「コルサル事件」は、まさに自分の死期が近いと感じていたきみに、必然的な運命として起きるべくして起きた事件だろう。
 事件といっても、きみにとっての事件であって、他の大多数の人達にとっては── 実際のところ、どうだったんだろう?

 難解な文を読み解くには、きみがその文を書いていた時、きみがどんな状況にいたのかを知ることが役立つだろう、と識者は言う。だが、そのよすが・・・となるべききみの膨大な日記にも、比喩的な表現が多く、また思考が行為であったきみには、現実的で具体的な事象を記した形跡も少ないという。

 きみは、死んだ後に自分が研究されることを恐れていた。そのために、謎めいた言葉しか残そうとしなかったのか? まるで自分が、研究対象になることを予知していたかのようだ。きみは机上の空論ばかりする学者の、机の上に居たくなかったのだろう。
「私の言わんとすることが分かった者は、もう本を閉じて、自分のやるべきことをやってくれ」
 きみはそのようなことを言って、とくに読んでほしい、是が非でも読んでくれ、とは一言もいわなかった。

 でも、やっぱり読まれたら嬉しかったろうか? そのために、きみは書き続けていたんだろうか。理解されないことを嘆き、こうしたら理解されるだろうかと、試行錯誤をくり返したろうか。
 それでもきみは、自分の云いたいことを、きみの云い方で表現するしかできなかったろう。云っているうちに、きみはどんどん、きみ自身へのめり込んでいったように思えるよ。
「どんな人間も、私にとっては重すぎる」ときみはいった、「だからお願いだ、『神々にかけて切望する』、だれも私を相手になど誘ってくれるな、私はだれとも踊れないのだ」*
 きみは、きみ自身が重すぎたのではないか…

「瞬間」* 第九号を発行し、つづく号の準備中、きみは路上で倒れてしまった。この「瞬間」という名の由来は、きみにとって「時が満ち」「永遠と時間とが相ふれる時」を意味した。
 識者は、「それはキリストの降誕であった」といっているよ。「この瞬間にあってキリストとともに生き、永遠なるキリストの精神を体して、あまりにも時間的、世俗的なキリスト教界、特に現在の国教会の腐敗と欺瞞と堕落をさばくべき『時が満ちた』ことを、この題名によって告げようとしたのであろう」と。
「それはキルケゴールの生命を賭しての戦いであった」と。

 路上で倒れたきみは、病院にかつぎ込まれた。
「私は死ぬためにここへ来たのだ」ときみは病院の人々にいった。
 臨終に際し、牧師から聖餐を受けることを拒否したきみは、「安らかに神に祈れるか」と訊かれ、「うん、できる。僕はまず、罪の赦しを祈る。すべてが赦されることを祈る。それから、死にのぞんで僕が絶望から解放させてもたえるように、それから、これこそ僕の知りたいことだが、死がいつ来るかを、来る少し前に、知らせてくれるように、僕は祈る」と答えた。

 きみはほんとうに神を信じていた。
 でも、きみの生きた世は、きみには我慢ができなかった。我慢ならなかった、というべきだろう。
 よく、たたかったね。よく、たたかった。でも、いったいきみは、何とたたかったのだろう?
 きみは、42歳で逝ってしまった。予定より、八年、オーバーしてしまったね。金銭に困ったことのないきみは、その金銭がちょうど尽きる頃、きみの生命も尽きてしまった。

 わたしも、もうすぐそっちへ行くよ。それまで、こっちで、自分のやるべきことをやろうと思う。わたしは、きみを信じているんだよ。きみの遺してくれた著作、家にあるぶんしか読めないと思うけれど、倒れそうな時は力を貸してくれ。
 生きてくれてありがとう、いっぱい書いてくれてありがとう。もう170年ぐらい経っちゃったけど、今も、そのうちそうなるから。まだ人間がいたらばの話だけどね。

*「どんな人間も私には重すぎる…だから」以下は「哲学的断片」序(「世界の名著40」杉山好訳、中央公論社)より抜粋。
*「瞬間」以下「僕は祈る」まで、上記の「世界の名著」内「『キルケゴールの生涯と著作活動』舛田啓三郎」より抜粋。