(33)結婚生活. 2

 フリガナをつけないと、読めない名前をつけた。彼女が、字画やらの本を読んで、これが良いのだった。
 いい名前だと思った。男の子だったら、翔という名にしようとしていた。私には何の想像力もなく、彼女に任せきりの名づけであった。
 子どもを、可愛いと思った。不思議な気もした。こんな小さな生き物が、どうやって大きくなるのかと思った。

 ほとんど二時間おきに授乳するので、夜泣かれると、つい、イライラして、違う部屋で寝ようとして、申し訳なかった。
 ふたりでつくった子どもなのに、ひとりにまかせては、いけないことは分かっていた。ただ、朝早くからバイトに行くこと、体力を使い、危険を伴う仕事であることを思うと、ちゃんと寝なくてはと思った。

 友人が、何人も、訪れてくれた。友達にも、どんどん遊びに来てほしかった。女友達も少なくなかった。
 しかし、一緒に暮らしはじめてから、波がサーッと引くように、遠ざかっていった気がする。不思議な感じだった。
 私自身が、そんな雰囲気をつくっていたのかもしれない。淋しく思った。

 ハイハイしはじめて、ひとりで立てるようになり、三人で一緒にご飯を食べる。
 何か会話の拍子に、おめえが…、と私が妻に冗談のように言ったら、子どもが、「おめめ、おめめ」と自分の目を指さした。意表を突かれて、笑うしかなかった。
 妻も私も、子どもの一挙一動に、幸福なのだった。

 家庭というのは、子どもがいて、はじめてそれらしくなったように感じる。まるで、共同体である。
 そこには、三人のうち誰か一人が欠けたら、がらがらと崩れさるようなあやうさも、同居していた。

 安住しながらも、私は、どこかへ行きたい気持ちに、よくさいなまれた。
 何も、不満はなかった、といえば、嘘になる。何か不満はあった。
 それは、自分の中で処理することもできる。相手に言って、相手にどうにかしてもらうことも、できるかもしれない。
 しかし、私は自分の根本的なものを変えられないように、相手も、相手の根本的なものを、変えられるはずもない、と考えた。

 私は、そんな根本的なものを持つ相手を、好きになったのだ。私は、ひとづきあいが好きだった。彼女は、どちらかというと、ひとづきあいが苦手のようだった。
 そんな彼女を好きになったのは、私の中にも、知らない自分がいて、ほんとうはひとづきあい、自分も苦手なのではないかと思った。
 彼女の中の何かと、私の中の何かが、共鳴しあって、おたがいに好きになれたのだ。ひとが、ひとを好きになるというのは、そういうものだろう。

 私は、幸福が怖かった気もする。幸福は、いつか崩れるものだ。自分がなるべく家にいなければ、親子三人水いらずの時間、細く長く、「崩れる時」が先延ばしになるような気がした。
 妻と子どもは、だいじだった。だいじとするなら、そのまま、だいじにすればいい。しかし、それが、なかなかできない自分が、たしかにいるようだった。

 私は、自分を、病気かもしれないと思った。知人から、「強迫観念症ではないか」と云われたことがあった。
 だが、~すべきだ、~すべきだ、との強迫観念に捕われているのなら、この世のひとたち、みんな、強迫観念症ではないか、と思った。
 妻を、私はありがたいと思っている。「病気に、逃げちゃダメ」とも言ってくれた。いつも一緒にいてくれた。こんな自分のそばにいてくれることが、たまらなくいやになるときもあった。

 私は、身勝手な人間だと思う。だから妻にも、身勝手さを求めたのだろう。勝手になってくれれば、私と同罪だ。
 共犯してくれれば、私の罪、軽くなる。甘ったれた根性があったのだと思う。

 ずっと、こんな人間であり続けて来た。
 今も私は、彼女をありがたいと思う気持ちを、どう表現し、体現したらいいのか、知らないでいる。
 きっと、わかってくれるだろうというのも、甘えた思惑だ。

 何も考えず、ひとを愛せたら、と思う。
 何か考えても、同じなのだということも分かっている。分かっているつもりで、何も分かっていないことも、知っているつもりでいる。
 まるで私は、自分のことばかり考えている。この自分の中には、彼女もしっかり、居続けているのだが。

 私には、思いやりというものがないのだろうか。