お魚屋さん

 近所に、昔ながらの木造建ての魚屋がある。
 店の外と内を仕切る引き戸もなく、店先に、一畳ほどの足の付いた板が置かれ、その上にホッケなどが木箱の中に、じかに並べて売られている。
 その後ろに硝子戸の冷蔵室があり、3、4種の刺身類がトレイに乗せられている。

 ここのホッケは、とっても美味しい。
 スーパーマーケットのホッケはもう食べる気になれない。
 主人にそのことを言うと、主人はとても嬉しそうな顔をする。

 主人の嬉しそうな顔を見ると、ぼくも自然に嬉しくなる。
「スーパーのはね、人工的に風とか当てて、一気に乾かしちゃうから。」
 このお店のホッケは、天日干しなのだった。

 大きめのホッケが1枚120円だから、べらぼうに高いわけでもない。
 そして美味しいのだ。
 ホッケが売られている環境は、ラップにくるまれていたり外界と遮断するフタも何もないから、たまに一匹、ハエなんかがそばを飛んでいたりする。

 でも、文句なく美味しいのだ。
 この主人の薦める刺身も、いつも美味しい。
 スーパーの刺身も、もはや食えなくなった。

 といって、一番高いマグロが、けっこう量があって500円、ぶ厚く切られたイカの刺身は400円。
 サンマの刺身は350円位である。
 サンマの刺身が、こんなに美味しいものだとは知らなかった。
 サンマがいちばん好きである。

 しかし、ぼくがサンマより好きなのは、この主人なのだ。
 公務員のように七三分けした髪の上に、少し汚れた野球帽のような帽子を被り、水に濡れてもOKな黒い前掛けを胸から膝下まで身につけ、長靴を履いて、細い目で、笑顔がほんとに笑顔な、ぼくと同じ位の背格好の、50代… 後半、だろうか。

 その硝子戸の冷蔵室の、狭い通路をはさんですぐ右奥に、調理場がある。
 そこで魚をさばいている主人の姿が、ぼくは好きなのだ。
 まじめであることが、どうしても伝わってくる。

 そして本人は実に自然に動いているのだ。
 そこには、自意識のカケラもない…
 ああ、ここは信用できる。
 初めて行った日に、ぼくは迷わずそう思った。

 だが、このぼくの好きな主人は、マイナス志向であるらしいのだ。
 マイナス志向とは、マリア像のような奥さんがおっしゃっていた言葉だ。
 去年の暮れ近くだったか、店に行った時、主人は表から見える、店の奥のところにぼんやり腰掛けていた。

「こんにちは」
「いらっしゃい、寒いねえ」
「ほんと、寒いですねえ」
 奥さんが、調理場の前あたりにいて、ぼくは2、3のものを買った。

 主人が、「はい、これと、これね」と言い、品を取り出す。
 奥さんが袋に入れてくれる。
 合計いくらか、という時、主人、「間」があいた。

「200円と380円と、これだから…」と言った後、
「○×円、○×円だな、… 最近ね、頭がボーッとして、計算もできなくなっちゃった」
 と、ぼくを見てまじめに言うのだった。

 ぼくは、「いや、計算できなくても、元気でいてくれたら嬉しいです」と笑って言った。
 横にいた奥さんが、少し笑って、
「ホントよねえ。計算なんかできなくても、電卓があるんだから、って言ってるんだけど、この人、マイナス志向だから」

 マイナス志向、と聞いて、ぼくはますますこの主人が好きになってしまった。
 そういえば、いつかの夏は、3人で魚の話をしていて、
「もうこの国の魚はダメだぁ」
 と、どういう話の流れでそうなったか忘れたが、唐突に主人が嘆いていたことがあった。

「すぐ、もうダメだ、もうダメだ、になっちゃうのよ」
 と奥さんがぼくに言っていた。
 ぼくは、心から笑った。自分のことのように思えたからだ。
 それ以後、店に行って主人の姿が見えない時、
「ご主人、元気ですか」
 と、袋に入れてくれている間などに、奥さんにぼくは訊いたりした。
「ええ、さっきまでそこにいて、今奥に暖まりに行って… ああ、こないだ、ヘンなこと言ってたからねえ。心配してくれてありがとう」

 昨日、久し振りにこの店に行った。先客がひとり、軒先に立っていた。
 主人は、マグロを切ってトレイに盛り終えたところのようだった。
 奥さんが、そこにワサビとパセリを添えたりしていた。
「こんにちは」
「ああ、いらっしゃい」
 200円のお釣りを、金銭箱のそばにいた奥さんから受け取った主人がぼくに渡す。

 その時、主人は自分の掌に置かれた2枚の硬貨を、しばし、じっと見つめていた。
「はい、200円、間違いない。いや、最近、目が、よく見えなくなっちゃってね」
 ぼくは笑って、
「いや、元気でいてくれたら、ありがたい… 嬉しいです」
 と主人に言った。
 横にいた先客の婦人が、
「ほんと、そうよねえ」
 と独り言のように言うと、調理場の前で奥さんが可笑しそうに笑ったのだった。