記憶のこと

 ところで、記憶について少し触れたい。
 昨年、40年以上振りに、幼なじみのKちゃんと会った。
 喫茶店に入り、彼女と私が一緒に遊んだ、遠い昔の話をしていた時のこと。

 幼い頃、全く同じ時間、同じ場所で遊んでいたのに、私と彼女の覚えていることが全然違うということが、徐々に判明したのだった。
 たとえば、
「わたしの家の隣りに○ちゃん、いたでしょ?」
「え、全然覚えてない。ああ、そういえば、いたような…」
「えーっ!あんなよく一緒に遊んだのに」
 
「Mちゃん(私の名)、絵も上手かったし、頭もよかったよね(?)。夏休みの宿題もやってもらったし、コンクールに出す絵も書いてもらったんだよ。わたし、Mちゃんにお金あげて」
 私は、全く覚えていない。
 逆に、私がよく覚えていることを、彼女が全く覚えていなかったりした。

「Kちゃんの部屋にキャンディーズのポスターが貼ってあったでしょ」とか、「水泳教室に一緒に行って、帰りに食べたホットドッグが美味しかった」は、彼女の中ではどうでもいい感じで、記憶も薄そうだった。

 それだけのことなのだが、記憶というのは、自分の意思と無関係に、ひとりでに残るものなんだなと思った。
 記憶は、われわれの知らない自分が、ほとんど本能的に覚えるようなもので、そこには何の理由もないのだ。
 そしてそこに、「自分の知らない自分が、自分に覚えさせた」という事実を、私は見た気になる。

 過去の時間の蓄積によって、現在の自分がある。
 にも関わらず、この自分が自分であるとするところの自分は、自分の知らない自分からつくられている…。

 なぜこの記憶が残っているのか、わからない。
 不必要な記憶は、覚えないように、人間の身体はできているはずだ。そうして「進化」を続けてきたのだろうから。

 覚えていても仕方のないようなことを、よく覚えていることがある。
 それは頭で覚えようとしたものでなく、身体が、細胞が、必要とする記憶なのではないだろうか。頭で意味など付けようもない。
 そんな「確認」をしたような、40年以上ぶりの再会だった。