続き、やります。
去年の11月、期間従業員から正社員への登用試験を受け、落ちてよかったという話。
はっきり言って、私は「正社員」に向かない。
もちろん仕事はできる。でも、それをずっと継続するということ、T自動車はあからさまな解雇をしないから、さしあたって60歳まで続ける、ということ。
これが、私には耐えられない。
幻想であることは分かっている。
定年まで仕事ができるのかどうかなんて知らないし、明日のことだって誰も知りはしないのだから。
でも、「定職に就く」ということが、私には耐えられないのだ。
1日に700人もの人間を、面接官は裁いていた。
マークシートの試験は、国語と数学。
数学は算数の段階で私は分からないので、白紙答案。
面接は、6人の受験者が2人の面接官に立ち向かう。
1人、持ち時間3分位か。流れ作業。
「志望の動機」
私は、今一緒に暮らしている彼女をラクにさせたい、と思っていた。
しかしギリギリのところで、私は私の中に、それはスリカエであることに気づいた。
で、「ラクがしたいからです。」とキッパリ言った。自分が、だ。
ハイ、これで落ちたな、と自分でも分かった。
せっかく推薦してくれた上司には申し訳ないことをしたと思う。
だが私はこういう人間なのだ。
誰かのために働くなんて、問題のスリカエ。
そしてさらに、自分にとってラクではないはずなのに「ラクがしたい」と嘘をつく。
いや、嘘ではないけれど、面接官にとってはあまり好ましくない言葉だったろう。
なぜ落ちたかは神のみぞ知る、それほど大袈裟なことでもないけれど、ただ私が分かっていたのは、「正社員になったら辞める自分」が見えていたということだ。
T自動車は、一度辞めた人間を二度と雇わない。
働く期間を限定し、それに向けて働くだけで精一杯の私には、期間従業員が向いている。
「あなたは、Tなんかにおさまる人間ではないよ。落ちるから、心配しないでいいよ。」
うかっちゃったらどうしよう、と不安になっていた私に、私のことをよく知る知人が言ってくれた。
自分に都合のいい言葉を持ち出して、私は、さてそれで定職に就かず、どこへ行くんだろ、と結局は不安におちいる。
こういう自分であることを、改めて知れる、いい機会だった。
しかし、九州地区に転勤する本社地区の友達が、「正社員、募集するみたいですよ。受けませんか?」みたいに訊いてきた。
─── このだいじな友達とは、一緒に働きたいナ。