「従業員ボルト説」

 べつに、そんな一生懸命働いてもしょーがないじゃないか。
 そんな気持ちに、従業員がなってしまう理由のひとつに、「従業員ボルト説」がある。

 大企業になってしまうと、雇われたい人々が溢れんばかりに多くいる。
 実際この会社で働いている人々も、「自分の代わりはいくらでもいる」とおもう。実際、いるのだ。

「僕らは、ボルトみたいなもんですから。」正社員が言う。(ボルトとは、エンジンに部品をつける時に使う、ネジのようなものです。)
「落としたボルトは拾って使わない。」いくらだってボルトは箱の中に入っているということ。

 自分自身が、落ちないように気をつける。
 僕がここに勤めて学んだことは、「自分のことだけ考えてりゃいい」ということ。
 でも、僕が仲良くなった正社員はみんな、まわりのことを考えられる人たちだった。打算ではない。

 話は主題から逸れるけど、「挨拶」のだいじさが身に沁みる。
 月曜日の朝なんかに、あー、またシゴトか、ってな感じでロッカーに向かう途中、「おはようございます」って誰かに挨拶されると、嬉しいのだ。

 あまり挨拶をし合わないのがこの会社なんだけど(いっぱい従業員がいるからいちいち挨拶してたら大変)、僕は長く働いているせいか、けっこう多くの人と挨拶し合えている。
 ヨシ、ガンバロ、って、単純に感じる。何気ない挨拶をし合えると。