ぼくがまだ小学低学年の頃、実家の、四畳半もないような台所で、風呂上りの兄と共によくカルピスを飲んでいたのである。
ガスレンジに向かって椅子に座り、夏だったと思う、ふたりで何かテーマめいたものが自然と浮き上がり、(兄がその主導であったが)われわれは話し合った。
兄は15歳上である。何も浮かび上がらない時は、カルピスを飲むだけで終わった。
「ミッさんは、『人間』という言葉から、どんなイメージをもちますか。」
その日の「カルピス談義」では、それがテーマであった。
「人間…… ラッシュ・アワー。」ぼくは答えた。
あの通勤ラッシュの、駅の階段を下りる、群集の顔、背広姿が思い浮かんだからだ。
兄は、「わたしは、○○なんですけど、」と、兄にとっての「人間像」も聞いた気がするが、
「『人間』という言葉、ここからイメージするものは、人それぞれ、違うということなんですよね。」
という言葉が大きく残り、あとは忘れてしまった。
「それじゃ、そういうことで。」と、その日の「カルピス談義」は終わった。
あれからだいぶ時間が経った今、ぼくはたまに、親しくなった人に、「『人間』って言葉から、何を連想しますか?」と訊いている。
アダムとイヴであったり、化学室の人体標本であったり、実にマチマチである。
その人の「人間観」が、垣間見れるようで、面白いといえば面白い。(最近は、たまに、バリエーションをつけて、「人間『らしい』って感じる時って、どんな時?」などと訊いている)