(12)福と家人の関係 – a

 私たちは、その鋭利な爪を切りたかったが、福は激しくこれを拒んだ。
 夜中はケージに入れる手もあったが、福を閉じ込めるのは忍びなかった。

「横向きに寝たら?」と私は家人に進言した。
 仰向けだから、グサリとやられるのだ。
 横向きならば、爪も立てられにくいだろう。

 だが、長年の行員生活のため(彼女は高校卒業後、ずっと地方銀行に勤めていた)、寝グセのつく横向きで寝る習慣がなく、「仰向けでないと眠れない」と言った。

 そして毎晩、それが運命であるように、福によって彼女は凌辱にも等しい、はりつけ同様の状態を強いられていた。

 一度、その爪がおでこに刺さったが最後、みだりに動けば、福は「獲物が逃げる」と思うだろう。
 逃がすまいと、その爪に更なる力を込めてくるだろう。
 最悪の場合、その刺さった一点が文字通り「皮切り」となって、思わぬ方向へズズズと線を引く可能性がある。

 女として大切な顔を守るため、彼女は、福がその爪に力を加えぬよう、仰向けのまま動かずにいるしか術がないのだった。

 その福は、彼女のおでこに自身の爪が刺さっている間、非常に満足しているらしい。
 薄眼を開けて福を見ると、「わたしを見つめて、じーっとしている」という。

 だが福は、獲物は捕らえたが、この後どうするかまでは考えていない。
 動かぬ獲物に退屈を感じるのか、心が充分満たされたのか、やがて福は爪を抜こうとする。

 だが、刺さっているからうまく抜けない。
 そしてこの時、その爪先がぶるぶるふるえ出すという。
 この震動が、おでこを通じて彼女の全身を硬直させ、不安と緊張、つまり恐怖の絶頂へ彼女を持っていく。

 ただでさえ何を考えているのか分からない福が、自分の爪のコントロールができない状態に陥っている。
 これからどうなるのか、福にも家人にも分からない、神のみぞ知る領域に入っていく。

 こんな惨劇が起きているとも知らず、私は隣りの布団でのうのうと寝ていた。
 だが彼女は私を起こすこともできなかった。

「助けて!」と叫んだら、福を驚かせる。
 猫は驚くと飛び上がる。
 上がったからには落ちて来る。
 その着地点が、彼女の顔面ではないと、誰が言えるだろう?

 叫ばずに私を起こそうとした場合、彼女は手足を動かさねばならない。
 だが、その動きは当然おでこに伝播し、福は、動いたおでこへ更なる力を爪に込めてくるだろう。

 彼女は、どうしたところで、何もしないでいることしかできなかった。
 おでこの「穴」を最小限にして切り抜けるべく、爪が自動的に、できればスムーズに、離れる瞬間を待つしかなかった。

 だが、この一方的な福の狩猟は、数日続いたのち、大過なく終わった。
 そして時と場所、手段を変えて、続けられることになるのだった。