そしてきみはいつも、こう感じる。
「自分は、おかしなところで笑っている。ほかの人が、笑わないところで笑っている」
独特の笑点をもっているようだね。
その笑いにつられ、笑う人もいる。そこがきみの限界なのだ。
きみの笑いを、笑える人間としか、きみは仲良くなれない。
今までは、そういう人間も多かった。優しい人が、多かった、と言えるだろう。
きみは、その優しさの中で生きて来てしまった。
今はもうそんな、誰も構ってはくれないよ。
みんな、自分のことで大変なんだ。
そしてきみは、あの頃はよかった、と、よくいる「昔はよかったおじさん」になるわけだ。
きみは全く、呆れるほど変わっていない。きみが見てきたものは、何だったんだ?
眼から入り、耳から入り、きみが感じ、何やら内部で培ってきたものがあるらしいじゃないか。
それは一体、何だったんだ? コポコポと、蒸留させたようだったが、ただの時の流れだったのではないか?
きみは基本的に何もせず、夢を食べるバクみたいに生きて来ただけはないか?
よく、あんな大企業に勤められたものだ。使い捨てのような身分だったからか。
それをきみは望み、だからずいぶん頑張ったようだね。やっぱりきみは、人に恵まれすぎたのだ。
いつから、この社会は、などと言うようになったのかね。
ネットに書くことにに熱中し、意見を書き、軽薄な高評価、そればかりじゃなかったけれど、もらってはニタニタして、そこに沢山の時間を使ったね。
いや全く、おまえのようなやつが今まで生きて来れたとは、ちょっとおかしいんじゃないか、この世の中。
しかし、きっと人生ってやつは、プラマイゼロにできてるものだ。
きみが今まで、イイ思いを沢山したというのなら、これから沢山イヤな思いをするだろう。
おまえの飼っていた猫が、ずっと病気知らずだったのに、晩年はノラに噛まれて、そのたびに獣医に連れていったように。
覚悟はできているかね。おまえは、幸せ過ぎたのだ。
おまえは、おまえの代償を払わねばならない。
おまえがおまえであったために、払うべき代償は、ちゃんと用意されているのだ。
しっかり、しかと受け止めろよ。