そんなに、希望がなかったのだろうか?
パチンコ以外に、心底から胸のときめく瞬間、生きている実感の訪れる時間、大好きなことをして得る満足は、他の場所と時間にはあり得なかったのだろうか?
なかった! あれは、まったく、絶望と期待の混濁する、紙一重の緊迫、運命を目の当たりにできる、唯一の場所だった。
ああ、今日は出ない日だなと分かっても、自分に当たりが来ればその瞬間の快感もより一層強度を増す。
このまま続けてしまおうかと思い、続ければ、ああ、やはり出ない日だったと確認し、もう帰ろうと思っても、惜しい気がして、帰るに帰れない。
勝った日は祝杯をあげ、負けた日は鬱憤のために飲む。
とんとんの日は、何とも言えぬために飲む。
寝ても覚めても、銀の玉と液晶の画面、その中の動作、つまりパチンコのことが頭から離れない。
〈 バカは死ななきゃ治らない 〉
これだけパチンコに身も心も狂えるなら、そのために死んでも本望だと思う。
しかし、それも刹那の気分で、まったく僕は自分自身をアテにできない。信じられない。
信じられるのは、──何だろう、信じられるものは何だろう。
このまま僕が、パチンコのために生き、死んで行くとしても── そんな未来予想図から逃げるために、あるいは、同時なのだが、向かうために、パチンコ屋に行きたいと思う。
貯水槽清掃のバイトを辞めた後、僕は転職を繰り返したが、そのうちの一つ、鉄工所では「パチンコでトラクターを買った」老人がいた。
彼は、どんなに少額の「勝ち」であっても、「勝っている時に店を出た」という。
印刷工場では、パチンコで稼いで、実際に生きてきた若者がいた。
まだ「一発台」が全盛の頃で、「これでずっと生活して行ける自信、ありました。でも結婚して子どももできたし、チャンと働こうと思って」正社員になったと言っていた。
自動車工場で知り合った若者は、「スロットにハマッてたんですけど、このままじゃいけないと思って。やりたくなったら、ジムに行くようにしました」と言っていた。
〈 中庸を保つこと、中庸を保つこと 〉
〈 一つの病的なものが去れば、また別の、病的なものが立ち現れる 〉
中道を行くことが、よき生き方であることは知っている。
でも僕は、0か100かという極端な性質を持っているため、それができない。
一つの病、それが病だとして、もしかすれば、しかし健康さえ、病ではないか…
まったく、もはや私の全身から、銀玉の染みつきを綺麗さっぱり拭い切ることは、できない相談だ。
「あれは前世の悪い夢でした」と、ほんとうに心から笑って、あの銀玉の場所を心から微笑み、懐かしめることはできないだろう。
吐き気、吐き気を堪えながら、機械じかけの何かのように、僕は飛んで行く、あの場所に、あの場所に。