我がまま

 ワガママはいけません、というのは、自分のまま、あなたではいけません、と同義語で、自より他を重んじなさい、尊重なさい、という意味だよ。

 幼い頃から、お母さんに、そう教わってきたね。何てことはない、「わたしの言う通りにしなさい」という、お母さんのワガママだよ。

 個性は強調性と反比例する── 「我」が個であるなら、その我のままであることは許されない。みんなとうまくやりなさい、集団の中でしか生きてゆけないんだから。人間は社会の中で、社会の一員で、云々云々…

 社会なんてね、たかだか〇市、〇区、その中の一角の、半径4、50mにも満たない、狭隘な中だったろうよ、お母さん。

 でも、むりもないよね、そこで何十年も、ずっと生きてきたんだから。家があり、父、祖父母、子、家庭をあなたはずっと守ってきたんだから。あなたがいなかったら、ぼくは生まれなかったし、育たなかったかもしれない。父も、仕事に、安心して行けなかったかもしれない。あなたがあって、〇〇家はあったようなものだ。

 そう、仕方のないことだったんだよね。

 どうしたわけか、あなたも生まれて。センゾ代々、〇〇家。どうしてここにいるかも分からずに。続いてきたんだろうね。

 そりゃ土着性、その地に根づいた人たちが、各々のお墓と一緒に、そこにいるんだろうよ。

 でもなあ。… いや、何でもないよ。狭い世界だ、なんて思うのは、ぼくが現実逃避したいだけかもしれないし。アフリカから、ヒトの歴史、始まって、散りぢりに地上にバラ撒かれるみたいに分散して、なんて、知ったこっちゃないよな。

 元を辿れば、〇家も×家もなく、さらに元を辿れば、宇宙でどうのこうの、なんて知ったこっちゃないわな。

 そう、あるのは現、現! この現の前には、おシャカさんもキリストさんも吹っ飛ぶわな。

 繰り返すんだろうね。ぜんぶ吹っ飛んで、また何億年かかけて、ヒト、出てきて。一からまたつくり直して、何の記憶もなく、八百万神をつくって、各々の正義、信心!をもって、戦争なんかおっぱじめて。

 半径4、50mしかない「社会」の中にだって、その人間のわけのわからなさ、残酷性、面倒臭さ、こまかな些細事に満ち溢れて。溺れていくのかね。箱舟をつくって、また新たな地を目指すのかね。

 知らないね、知らないね。わたしゃ、なんにも知らないね。ほんとに、なんにも知らないよ。