椎名麟三は「自由」についてよく、よく考えた作家だった。
自由。自由。
椎名さんの、その自由への希求、拘泥、ともいえる、そんな姿勢がやっぱり好きだな。
まじめで、誠実な人だった。間違いないよ。「戦後文学」に括られるけど、あの人の書いた作品、あの人の「人間」というような部分、生きて死ぬまでの、あの人の姿勢というようなものは、僕は忘れられない。忘れたくないよ。
八月六日には、世田谷文学館で椎名さん原作の映画「煙突の見える場所」が上映されるらしいよ。もう、没後50年なんだね…
この文学館では九月三日まで、「椎名麟三とあさって会」という展示もされているらしい。ネットのパンフレットみたいな言葉を借りれば、
『「ほんとうの自由」を模索しつづけた椎名麟三の生涯を当館収蔵資料とともに辿ります。』
とある。
そう、椎名さんには「ほんとうの」がよく付いた。
少しだけ、僕はその椎名さんのいう「自由」の意味が、ぼんやりだけど、わかるような気がする。まだ…というか本当に理解はできないかもしれないけれど、シンキロウみたいに、うっすら見えるよ。
それが椎名さんのいう「自由」、ほんとうの自由だったのかどうか、わからないけれど…。
責任、選択。こんな言葉しか浮かばないけど、ただの「自由」というものじゃない、いえば背負うこと、しょっていくこと、…「責任」という言葉が、この頃妙にのしかかってきている。
椎名さん、あなたを知らなかったら、僕は自分の中に石のようなものを置けなかったと思うよ。
その石は重いけれど、これがあるおかげで、僕は足に地を着ける感じがする。
歩いていける、勇気を、あなたからもらった気がするよ。
ニーチェが云ったように、この重さこそ、脱却すべきものかもしれないけれど。
でも椎名さんは、この重い石も、この自己の中に一つぐらいあっていいだろう、って云うだろう。
大きな人だったと思うよ。でもそれも、「絶望の名人」だったあなただったからこそ、そのような世界を持ち得たのだと思うよ。
10代、20代の頃から、ずっとあなたは僕の中にいたんだよ。
時に、忘れてしまうこともあったけど。
時代の流れはある。あなたの生家か、姫路にある家も、ずっと保存につとめてきた人達が、年老いて、亡くなる人も多くなって、いろんな理由が重なって、維持するのが困難になったらしいよ。
僕も、56歳になった。
でも、たぶんあなたの本、ここからあなたの存在が感じられる以上、僕は死ぬまであなたのファンであり続けるだろうね。
どうか、見守っていて下さい。