昨日、youtubeで「オウム真理教」についての番組を見たよ。テレビ朝日とabemaの共同制作?みたいなやつだった。
いやしかし、ほんとにあんな宗教があったんだなあ! 驚いたよ、いささか怖くなりながらね。
何なんだ、ほんとに。人の心理ってやつは。
いわゆる「頭のいい」人達が集まっていたはずなんだよな。そんな人達が、空中浮遊だの超能力だの、いやいや、なんでそんなもん信じるのかね。いや、ほんとにふしぎだよ。
あの幹部の上祐?なんて人は、かなりアタマがイイよ。それが、また今も新興宗教開いて、そこにまた「信者」が来てるってんだから、あの映像を見た時、笑ってしまったよ。何やってんだ、しょせんカネか? ただの、生きるためだけの!
いや、なんとも、やりきれない気持ちにさせられた番組だったよ。
でもこういうことがあった、狂信者たちが自分を正義と思い込み、なんでそれが正義であるのか考えもせず、疑いもせず(疑うことって大事だよなあ!)、一心不乱に身を任せて自分を失くし、教団にすべてを捧げる── なんと恐ろしいことか。
でも人間なんだよ、全く。鬼畜生なこと、きちがいじみたことをできる、人間なんだよ。
憂鬱な気持ちにもなったけど、きっと、あんな事件があった、あんな狂気があったということ、後世に伝えるというだけでも、きっと大切なことだろう。
そう、忘れてしまうからね。そして繰り返してしまうからね。ほんとうに忘れず、ひどい過去を、今に生かすこと。わるいように、社会をもっていかせないこと。個人個人が、しっかりすること… おれもできていないけど。だいじだと思うよ、これ。
犯罪って、偶然から始まることも多いんだろうなと思った。でもそれを引き寄せるものが、もう内包されているとも思った。あの団体は、犯罪を犯すべくして、そうなったと思う。
犯罪って、単純に、人の迷惑にならないようにすること── それだけで、それだけのことなんだと思うよ。
正義だなんて、これが絶対だなんて、振りかざしちゃいけないよ。
わたしは、どんな宗教も拒否するよ。わたしのダイモーンを信じるよ。集団になったら、ダメなんだよ。肝心なところが、大切なものが、歪められてしまう。恐ろしいことだ。