昨日、ラジオのニュース番組で、ナントカ(名前失念)という映画?だか何だか… のことが紹介されていた。
たしか「少尉」だったと思うが、その特攻隊で亡くなった人の、手紙も紹介されていた。
「表向きは、覚悟を決め、国のために、勇敢に死ぬ。でも、…死にたくなかった人もいる。〇さんは結婚して三日目に召集され、死んでいった。死にたくなかった、が、本当の気持ちだった」
そんな手紙が紹介されていた。
表向きは、というのは、その手紙を読み上げたアナウンサーの言葉だったかもしれないが、同じことだ。表向きは、とにかく国のために、勇猛果敢に、死ぬために死んでいったのだ。
まったく、ばかげたことだ。
「まだ、それから100年も経っていないんですよね…」という、もう一人の女性アナウンサーの声も印象に残った。そう、ほんの、ちょっと前のようなことだ。
これはもう、理屈ではないよ。戦争はばかだ。国のためになんか、だめだよ。
いのちの尊さとか、死んじゃダメとか、何だかんだとか、そういうことは… なんだか、それより、とにかくだめなんだよ。
なんで戦争はなくならない?
何のために、あんなことを?
表向きというのは、美化しがちだ。
本当のことを。もっと本当に、本当になっていいんじゃないか。
番組の最後に、リスナーからの意見の中に「亡くなられた方、安心して下さい。令和、平成と、もう、戦争なんか起こらない時代ですよ」みたいなのがあった。
ごめんだけど、それは違うよ。今、起こってるやんか、このクニだけの問題じゃないよ。
表向き、という言葉が、ずいぶん自分に入ってきた。
表向き。表向きのものは、シンジラレナイ。
ほんとうではない。表向きは、ほんとじゃない。
表向きしか見れない人間は、めくらだ。漱石の言を、何度も借りよう。本質を見ようとしない人間は、めくらだ。
表向きしか見れない、表向きにしか何も言えない。それを人間の限界、悲劇としてしまうのは、違う。
個人間の争いではない。これは人間族、ヒト、人間という、数多ある生物のうちの一つの、最も忌むべき蛮行、愚劣そのもの、ばかの極みだと思う。戦争なんか、ほんとうに。
個人から成り立つ人間。表向きは、もういいよ。個人個人が… 表向きにばかりとらわれていたら、だめなんだ。