道というものは、それが実在するという確かな真実性を持ちながら、何の働きをするものでもなく、また、形を持たないものである。
それは心から心へと伝えられるものではあるが、形あるものとして手に受け取ることはできない。
これを体得することはできるが、これを目に見ることはできない。
それは、みずからのうちに存在の根拠を持ち、みずからのうちに根ざして生じ、天地がまだ存在しない太古から、すでに存在するものである。
それは鬼神や天帝に霊妙な力を与え、天や地を生じさせるものである。天のきわみにある太極の上においても高すぎることはなく、六極の底深くおいても深すぎることはない。
天地に先立って生じながら、時間の長久さを覚えることがなく、太古より以前から存在し続けながら、老いることのないものである。
上古の帝王の豨韋氏は、この道を得て天地を手に引っさげ、伏戯はこの道を得て天地を構成する気の中に没入することができ、北斗の神の維斗はこの道を得て永遠に狂わない標準となり、日月はこの道を得て長くその輝きを失わず、堪杯はこの道を得て崑崙の山に入って神となり、馮夷はこの道を得て黄河の神となって遊び、肩吾はこの道を得て泰山の神となった。
黄帝はこの道を得て雲天のかなたにのぼり、顫頊はこれを得て玄宮に入り、禺強はこの道を得て北極の神となった。西王母はこの道を得て少広山にすむ神となり、その生まれた時もわからず、その死んだ時もわからないほどの長生きをした。
彭祖はこの道を得て、上は舜の時代から、下は春秋の五伯の時代に及ぶ長生きをした。傅説はこの道を得て、殷王の武丁の宰相となって天下を支配し、死後は東維の星座にのぼり、箕や尾の星に乗り移って、星の神々の列に加わることができたのである。
── ゼイゼイ。いやあ、いっぱい、いろんな人がいたなあ!
「悟りを開いたような人は、今頃山の奥で一人で走り回っていますよ」と知り合いに言われたことがある。まあ、そうだろう。ツァラトゥストラも山にいたし。このお話に出てきた禺強の姿は、「山海経」に描かれたものとして挿絵にあるが、羽が生えて、いたずらっ子みたいな顔してこっちを見ているよ。
先日、ラジオで小説家が「あの世とこの世って、ありますね。でも、そんな二つだけじゃない、もう一つ、『その世』っていうのがあると思うんです。『その世』を書くのが小説だと思うんですね」みたいなことを言っていた。
あの世でもその世でもこの世でも、何でもいい。小説を、その文字通りに、つまらなく言えば「小さく説く」ことと思う。荘子は、その意味で小説ではないかと思う。でも、内容は大きくて。たしかに、「その世」というか「あっちの世界」のことを、具体的な人名を出して(ほんとにいたのかどうか知らないが)執拗に「荘子」の筆者は書き続けている。
… まったく、このお話の冒頭、道についての表現は、その通りだと思う。
道の存在は、確かに感じられる。たしかに、それがあることが感じられる。
それを感じるだけで、そこで止まっている。その先へ進めず、進まず、感じることだけで精一杯なふうにして、生きてきたような気がする。