メヌエット(喜遊曲第17番 ニ長調 K.334 第3楽章より)

ヨガ、座禅… 瞑想? にも色々ありそうだ。歩くのも瞑想であるらしい、一番簡単な。
確かに歩いている時、何だかんだと周囲に、足元に、目の前に、注意を払っている。歩く車線変更の時は、後ろに人や自転車が来ていないか確かめる。
といってキョロキョロしているわけでない。二つの眼の中で、注意を向けているだけだ。
それでいて、足は左右に、几帳面に交互に動いている。

たぶん僕のしている「呼吸を見つめる瞑想」…そんな大っぴらにも言えないものだが、これはこの歩行に似ている。
心やら頭の中は、やたら忙しく動く。それに心、頭そのものが奪われてしまう時、呼吸を見つめることを忘れてしまう。
おっと、と、また呼吸にちょっとあわてて注意を戻す。でもまたどっかへ行く。おっと、とまた注意を呼吸に戻す。
そんなことを繰り返すうちに、どっかへ行った心、どっかへ行った頭に注意を向けながら、でも呼吸(歩行)にもチャンと注意を払えている… ような時がある。

そんな時は、よしよし、という気持ちになる。
歩行=呼吸を見つめる作業をしながら、あちこちの景色(心が見る風景)を眺められる、その心の動きにも注意が向けられる、という感じだ。
これも慣れの問題で、何もいちいち瞑想なんかする覚悟を持たなくても、日常生活であれこれ家事などをしながらでも、呼吸に自然と注意が行けるようになる… 時がある気がしている。

いつも呼吸を意識、見つめながら、いろんなことができるようになれば、しめたものだ。
でも大体が、何かに熱中、没頭している時、呼吸していることを忘れてしまう。
で、また思い出す(意識を呼吸に向ける)、その繰り返しだ。
呼吸をしていることを忘れても、呼吸はしている。でないと、私は死んでいる。
で、あ、忘れた、と、意識を呼吸に向けると、何だか呼吸さん、嬉しそうなのだ。
「思い出してくれてありがとう!」という感じだ。

たぶん私は狂っていない。ひとりで遊んでいるだけのような気もする。
でも、なんかイイんだよな。だって50年以上、この、ずっとこの私を支え続けてくれた、この「呼吸する身体」に意識を向けて来なかったんだから。
苦しい時は胸も苦しく、呼吸も荒ぶり、注意を向けずにはいられなかったが。
今まで、ありがとうね、忘れててごめんね。これから、できるだけ忘れないようにするよ。
そんな気持ちになるんだよな…