「道草」読み終え

 ずいぶん時間が掛かった。読み難かったせいでない。読み易かった。が、読み易いぶん、時間が掛かった… 言外、言下にあるものを考えながら読んだので。何故だか、そう考えないと先に進めない、滞るものがあった。簡単な文を、腹の中に落ちるまで自分なりに考えて読み進めた。

 クスッ。ニヤリ。と、笑える箇所がいくつもあった。
「健三」という主人公は漱石で、巻末の注釈はその事実とこの小説の一致点について事細かに述べている。
 イギリス留学から帰還した後の一時期が物語の時間軸。育ての親の来訪、それに纏わる回想、身重な「細君」と自身との関係、夫婦を取り巻く親きょうだい。淡々と描かれていた。

 中でも最高潮に感じられたのは、クスッを通り越したのは、細君の未明に出産した場面。予定より大幅に早まった出産。
 この三女は、漱石が取り上げた。産婆さんが間に合わなかったので。
 電気灯のない時代。細いランプで、子どもの顔も何も見えなかった。夜が明け、やっと来た産婆さんに「女の子…」と言われ、
「また女か。同じものばかりつくってどうするんだろう」
「どうしても人間とは思えない。一個の怪物である」との叙述もある。漱石、正直だなぁ。
 細君に対する、残酷な言葉も向けている。その夫婦生活、どう見てもうまく行っていない。
 冷たいのだ、「健三」は。
 でも、笑えるのだ…

「自分は何のために生まれてきたのか」自問の言葉も、終わり頃にある。
 知識人。学問にばかり溺れた「健三」と、学問のない細君。馬鹿にされ、「そんなに虐めなくてもいいじゃありませんか」と細君はぽたぽた涙を流す…
 ここに描かれている女は、情がある代わりに学がない。健三には、学がある代わりに情がない。他の登場人物は皆金に困っている。主人公夫婦とて、裕福といえない。

 金銭というもののいやらしさ、それを扱う人間。育ち、育てられ、人間になる人間。
 打算、下心。
 漱石の云いたいことはわかる。それでどうなるわけでもない。どうしようというわけで読んだわけでない。
 淡々とした文面、さらさら流せるページ。でも、些細な一字一句に、フッと笑わされる。日常生活も、よく読めば、そうであることに気づかされる…